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キレイゴトぬきの支え合い

おさらい

権利は、生まれながらにして自然に持っているものではなく、
共同体の中で、お互いに与え合うことで成立しているのでした。

そこで、「共同体(国家)」という考え方が重要になってきます。

承認のない世界

国家の中で、国民同士が承認し合い、与え合うことで権利が成り立っている。

ではもし、お互いの承認がなければ、「所有権」も「生存権」もない、ということになります。

そうすると、お金や持ち物について「これは自分のもの」「あれは誰それのもの」と認められないので、略奪と暴力の世界となります。

そこでは、力の強い者が支配者です。
「生存権」もありませんから、殺して奪うのが常識です。

しかし、その支配者の力さえ、永遠のものではありません。

…多分、こんな無秩序で荒廃した世界を望む人は稀でしょう。
結局、人々は集団を作って、権利のような「秩序」を作り出すことになるでしょうね。

(ちなみに、「自由主義」の極致は、上のような無秩序な世界です。)

キレイゴトぬきの「支え合い」

現在の国家における「権利」は、有り体に言って「支え合い」によって成立しています。

あなたの権利は、「あなた以外の」全ての人が承認することで、あなたに与えられているのです。

ですから、自分自身の権利を自分の力で獲得したり、守ったりすることはできません。

あなたにできるのは、ただ他人の権利を承認し、守ろうとすることだけです。

もし、誰か一人でも、あなたの権利を承認しない者が現れれば、その瞬間にあなたの権利は崩れ去ります。

(誰かがあなたを殺そうとするとき、すでにあなたには「生存権」が保障されていません。)

誰ひとり裏切らない「支え合い」によって成立する、そんな脆弱なシステムのうえに権利はあるのです。

学校の権利教育の意義

自分自身の権利は、常に他人に委ねられています。その当然の前提を忘れて、私たちは「自力で生きている」ように錯覚することがあります。

学校で「権利」について学ぶのは、すべての国民に、責任ある自国民として、この「支え合い」のシステムに参加する自覚を持たせるためだといえるのではないでしょうか。

それこそが、「市民性(=公民性)」を育てていく、ということなのです。

本日もお読みいただきありがとうございました。

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