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学校教育の目的「市民性」

学校教育の意義とは、どういった点にあるのでしょうか。

例えば、より効率的に学業成績UPを目指せる「塾」が、学校に取って代わることはできないのでしょうか?

実は、こういった、学校を塾に置き換える、というような議論は、「目的置換(誤って手段が目的に置き換わってしまうこと)」を内包しています。

学校教育にとって、学業成績の向上は「手段」の一つであって、「目的」そのものではないからです。

(必要条件を十分条件と見誤っている、ともいえます)

実は、この学校教育の意義をよく考えて咀嚼し、自分のものにしていくことが、生きた教育現場で、自分の指導の舵取りをしていくうえで大変重要なのです。

学校教育は、その他の教育(家庭教育や社員教育など)に比べて、その公共性の高さに特徴があり、国家の基盤を支える「インフラ」の一つです。

社会主義国家では、社会主義教育が行われるでしょうし、専制君主制の国家では君主の偉大さを教育するでしょう。

日本は現在は「民主制」を採る国家ですから、それに沿った価値観(いわゆる「民主主義」の思想)を醸成したり、その主権者として相応しい市民性(公民性と言い換えても良いと思います)を一定の水準に養うために、学校教育があるわけです。

ですから、学校教員は、「民主制」や「市民性」といった概念への深い理解のもとに、教育活動に当たらなければなりません。

冒頭の話の「学業成績」は、「市民性」を育むための一要素に過ぎませんから、学校教育は本来「学業成績だけ」とか「受験」とかいった近視眼的な位置に目標を設定していてはいけないのです。


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