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「人権は生まれながらに持つ」の嘘

はじめに


皆さんは中学生に、「なぜ権利を大切にしなければならないか」、合理的に説明することができるでしょうか?

例えば、学校教育業界でも、
「人権は、人が生まれながらにして持つ」
という表現はしばしば見られます。

ところが、中学生くらいになれば、「生まれながらに持つならば、わざわざ学ぶ必要はないのでは?」とその矛盾に気付いて、この手の議論が宿命的に持つある種の「胡散臭さ」を嗅ぎ取る子どももいます。

また、「生まれながらに…」の根拠と言われる『世界人権宣言』にも、実際にはそのような明示はありません。

人権や権利について、事実をベースに(=現実主義的に)教育活動を進める事で、この「胡散臭さ」を打開できると思いますので、その考え方をぜひシェアしていきたいと思います。

人権は生まれながらには無い

人がもし、人権を「生まれながらに持つ」ならば、以下のような場面でもその権利が保障されなければなりません。

1.無人島に漂着して、サバイバル生活をするとき。
2.戦争中の敵国に、足を踏み入れたとき。

このような場合に、
「生存権や所有権といった諸権利は、人間が生まれながらにして持つものなので、当然守られる」
と考えることは難しいでしょう。

したがって、人は権利を生まれながらに持っているわけではなさそうです。

では、権利とは何なのでしょうか。

権利の正体

権利の出どころは、
「一つの共同体(現代では、国家)の中で、その成員同士が互いに承認し、与え合うことによる」
ものと定義できます。

「そんな馬鹿な」と思われるかもしれませんが、冷静に考えていただくと、常にそうなっているはずです。

(ちなみに、国境を越えて権利が認められるのは「条約」のような国際的な取り決めがある場合で、これは同じルールを共有している意味で、一つの共同体の中の話だといえます。)

教育の中で「権利」を扱うとき、実はこの「共同体(国家)」の存在を見落とすと、なぜ学校教育において権利の教育をするのか、その根本的な理由をも見失ってしまうのです。


長くなって参りましたので、続きはまた次回。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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