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公教育は赤字でなければならない/ お金の新常識#1

皆さん、こんにちは。

私は中学校に勤めていますが、職員室では毎年、必要な人員が確保できない「穴」を現場の工夫で埋め合わせようと奔走し、またその「穴」は年々広がる一方です。

公教育の崩壊は、すでに進行中の危機であり、私たち教員にとっても、それ以外の国民にとっても、喫緊の課題です。

今回から、こうした問題の土台に根を張るお金についての「重大な思い違い」について、できるだけ前提知識を必要としない形でお話ししたいと思います。


教員の働き方問題は予算の問題である

まず、教員の労働をめぐる諸問題について、その根本的原因は「予算の問題」だと断じておきたいと思います。

部活動や保護者対応、時間外労働など、教員の働き方の問題は様々に指摘されているところです。

しかし仮に、「予算を無限につけられる」ならば、上記の問題はほとんど完全に解消します。


人員を3倍に増やして、給与も3倍。やむを得ない残業には労働基準法にしたがって対価が支払われ、部活動は国営化し、「指導員」が公務員として雇用される…


さすがに、これでも問題が解決しないとは考えがたく、

「教員の労働問題は、予算によって解消できる」ということには概ね承認をいただけるのではないでしょうか。


公共事業は赤字でなければならない


「そんな事を言っても、予算を増やせば、政府の赤字が膨らんでしまうじゃないか!」
「赤字の公共事業など言語道断!あってはならぬ!」

と私たちは考えてしまいます。


ここで唐突ですが、私たちが毎日利用する、「歩道」について考えてみます。

歩道は、常に赤字の公共事業です。
公共部門が建設業者さんにお金を支払って、歩道を建設してもらいます。

もし「歩道建設」という公共事業を黒字化させなければならないのであれば、

全ての通行人から歩道通行料を取るしかありません。

毎日歩道を利用するたびに、建設費用をまかなって余りある通行料を支払いたいでしょうか?

つまり、私たちが
「公共事業を黒字化させたい/赤字化させたくない」
と主張することは、

「受けられるサービス以上の対価を、支払いたい」
と主張することと同義です。

これでは、すすんで「損をさせてくれ」と言っていることになってしまいます。


公共部門の赤字=それ以外の主体の黒字


さらに頭を冷やして考えると、
公共部門が1億円の赤字を出して歩道を建設したとき、

①1億円ぶんの歩道ができて、私たち国民が交通インフラとしてその恩恵を受ける。

だけでなく、

②支払いを受け取った建設業者さんにとって、1億円の所得が生み出される。(GDPが1億円増える)

ということを忘れてはなりません。
さらに、建設業者さんは人間なので、消費(買い物)をします。そうすると、その消費は、また別の誰かの所得を生み出していきます。

支払われたお金は、この世から消えているのではなく、誰かの所得となって巡っているのです。

公共部門が赤字を出したとき、それは公共部門の「支出超過」を意味するのですから、

一方で、必ずそれを受け取る国民がいるのです。

つまり、公共部門の赤字は、国民にとって、①「公共事業の恩恵を受けられる」うえに、②「同額の所得が生まれる」ものなのです。

公教育は、赤字でなければならない

私たちの日常的な感覚では、支払いをすると、そのお金は財布から消えてしまいますから、

支出がかさんで赤字になるのは大変だ、と直感してしまいます。

しかし、(「権利」や「FIRE」のときの議論と同じく)ここでも私たちは、

『他者』の存在を見落としてしまっているのです。

支払いをした人がいるとき、受け取る人がいる、という逃れようのない事実をもう一度思い出したとき、

公教育が赤字でなければ、私たち国民の財布が代わりに赤字を負うことになる、という事実に目を向けられるのではないでしょうか。



今回の内容はいかがだったでしょうか。もしかすると、にわかには受け入れがたいかもしれません。
ですが今後も、『お金』というものの本質に少しずつ迫っていきたいと思いますので、よろしくお付き合いください。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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