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note クラシック音楽の普遍化を達成する

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クラシック音楽の歴史や作曲家、作品について、哲学的な視点から分析し、その普遍性や深さを探求する和田大貴のnoteです。クラシック音楽について語り合えることを楽しみにしています。参…
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2022年10月の記事一覧

真の恩師との出会い

#忘れられない先生

本来なら、音大を受験し本当の意味でのプロの音楽家 ミュージシャンを目指していた自分だが、成績が悪すぎた為に三文高校卒で終わってしまった自分が「唯一の真の恩師」と呼べる先生が小学校に居た。もちろん中学高校にも恩師は居たがこの小学校3年-4年の時の女性恩師「F先生 H先生」は生涯忘れない。これは1966年-7年にかけてこれほど熱心に、真心を込めて、真に情熱を込めて指導して下さった

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生きることのプロフェッショナルに徹する

生きることのプロフェッショナルに徹する

2022年10月12日、ロイトムソンホールでトロント交響楽団の演奏会を聴きに行きました。

パンデミックで長いこと演奏自粛を強いられたエンタメ業界ですが、最近やっと活動ができるようになりました。聴衆のマスク率も以前ほどではなく、自身で守りたい人は付けるが、本人の自由で日本のような同調圧力からのマスク装着はございません。会場では付けたい人がマスクを付けていました(奏者も!)。

しかし、会場に入る前

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【DTMクラシック】ラフマニノフ/ヴォカリーズ 嬰ハ短調,Op.34-14

【打込音源】ラフマニノフ/ヴォカリーズ 嬰ハ短調,Op.34-14

セルゲイ・ラフマニノフの『ヴォカリーズ』(ロシア語: Вокализ、フランス語: Vocalise)作品34-14は、1915年に作曲・出版されたピアノ伴奏付きの歌曲。 歌詞のないヴォカリーズで歌われる旋律と、淡々と和音と対旋律とを奏でていくピアノの伴奏が印象的である。
今回はヴァイオリン・ソロと管弦楽用にアレンジしたものです
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先日アップしたラフマニノフのヴォカリーズの打ち込みですが、ヴァイオリンソロを使ったものでしたが、今回GARRITAN PERSONAL ORCHESTRA 5という音源のソプラノ・ソロ というのを使ってみました。どうもロボット音声に聞こえてしまうのをいじくりこねてできるだけ自然に聞こえるようにしてみたんですが、これが限界(^▽^;)

オペラの記録:バイエルン州立オペラ(ミュンヘン)、モーツァルト作曲《コジ・ファン・トゥッテ》プレミエ(10月26日、ナツィオナールテアター)

オペラの記録:バイエルン州立オペラ(ミュンヘン)、モーツァルト作曲《コジ・ファン・トゥッテ》プレミエ(10月26日、ナツィオナールテアター)

10月26日、ミュンヘンのバイエルン州立オペラでモーツァルト作曲《コジ・ファン・トゥッテ》の新制作初日を観ました(ナツィオナールテアター)。

ナツィオナールテアター正面入り口の階段を上り切ったところから。
18時30分頃にはもう暗くなっています。

客席。

モーツァルト作曲のオペラの中で、ロレンツォ・ダ・ポンテがテキストを手がけた作品は3つあり、これを『ダ・ポンテ・オペラ』とよびます。

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イタリアQALP フルトヴェングラー&ウィーンフィルのワーグナー/ヴァルキューレ

イタリアQALP フルトヴェングラー&ウィーンフィルのワーグナー/ヴァルキューレ

ワーグナー:楽劇「ヴァルキューレ」全曲

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー & ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
マルタ・メードル、レオニー・リザネク、フェルディナント・フランツ、ルートヴィヒ・ズートハウス ほか
伊太利 LVDP QALP盤 1954年9月28日~10月6日録音

博士の白鳥の歌、1954年録音「ヴァルキューレ」。
この伊太利盤は、音の輪郭が太いというか音が濃いと思った。歌手陣

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フルトヴェングラー×フィッシャーのベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の珍しいCD

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
ピアノ独奏:エドウィン・フィッシャー
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
演奏:フィルハーモニア管弦楽団
録音:1951年2月19,20日

フルトヴェングラーとフィッシャーによるベートーヴェン「皇帝」の名盤で、何度もCD化されている演奏だが、その中であまり触れられることのないCDが2点あるのでここで紹介する。

エドウィン・フィッシャーの芸術 Vo

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突然ですが、「合唱曲 久遠の命」を公開致します。

突然ですが、「合唱曲 久遠の命」を公開致します。

副題:「仏教にもっと音楽を!」初めます5・ ・ ・ ・ ・ ・ ・そして今、「仏教にもっと音楽を!」と叫ぶ私の目指すところは、

日本の仏教音楽が、アジアの中国語圏(註)での仏教ポップスのように、日常的に生活の中に仏教音楽が聴かれるような日本社会になってゆく事であります。

それによって、仏教も葬式仏教と言われるような偏見がなくなり、人々の日常に仏教音楽が浸透し、日常の中に信心も深まりかつ広まるよ

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