#エッセイ
便座とバスタオルと宇宙
便座を上げないで使用するようになったのは、当時の恋人のおかげだ。
「そんなの当たり前でしょ」
なんて彼女にしてはいやに強い口調で怒られた。
トイレ掃除は僕の担当だから良いじゃないかとも思ってたけれど、どうやらそういう問題ではないらしかった。
うんうん、ごめんね。
次からは使い終わったらちゃんと蓋を閉じるようにします。
「そうじゃなくて座ってしてって言ってるの」
はいはい、ごめんね。
そういう何気な
卒業式のあと、70代の友人とパフェを食べた
卒業式にいい思い出がない。
小学校の卒業式は「やっとこのクラスから解放される」とせいせいしたし、中学は不登校だったから参加していない。高校は通信制で卒業にたいした感慨もなく、思い出いっぱいの専門学校も、卒業式は「こんなもんか」という感じだった。
卒業式について書こうと考えたとき、真っ先に浮かんだのは、もっとも印象の薄い高校の卒業式だ。正確には、卒業式のあと、すすきのの老舗喫茶店でおじいさんとパ
思い出、道路に転がして
小学…何年生の頃だったろうか。
2年…いや、3年生だったかも知れない。
クラスに転校生がやって来た。
先生がにこやかに彼の紹介をし、「じゃあ一言、あいさつを」と振ると、彼は挨拶をする代わりに私達をギリッと睨んだ。
強い黒目が白目の光を引き立たせ、短く濃いまつ毛の線が、眼球を際立たせていた。
──蛇。
人の目が蛇のそれに見えることがあるのだと、その時、初めて知った。
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もう一つの「わたし」
最近、本名じゃないアカウントで発信する人の気持ちがなんとなくわかってきた。いいよね、もう一つのなまえ。
もう一つのなまえは、もう一つのことばをもっている。だから、もう一つの思考だし、もう一つの人格だから。フルスイングでくだらないことも言える。何より、もう一つの「わたし」には締切がないのだ。
じぶんが「じぶん」であることに疲弊する。じぶんが「じぶん」を消耗する。そんな時、もう一つのなまえにいのち
『エピローグ』 #ナイトソングスミューズ
でも、ほんとうは
彗星は、あなたであって
わたしだった
暗くて冷たい、とおいとおい雲のかなたからある日
わたしたちは旅をはじめた
わたしたちは、ずっと 旅をしていた
彗星の尾っぽにつかまって、わたしたち 旅をしてきた
そして 今、
燃え尽きた彗星は塵となり 残るのは、ふわり宇宙に
揺られ漂うふたり
宇宙の片隅で、肩を寄せあって そう、やっと
辿りついたのね
つかんでも逃げていく
世界でたったひ