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卒業式のあと、70代の友人とパフェを食べた

卒業式にいい思い出がない。

小学校の卒業式は「やっとこのクラスから解放される」とせいせいしたし、中学は不登校だったから参加していない。高校は通信制で卒業にたいした感慨もなく、思い出いっぱいの専門学校も、卒業式は「こんなもんか」という感じだった。

卒業式について書こうと考えたとき、真っ先に浮かんだのは、もっとも印象の薄い高校の卒業式だ。正確には、卒業式のあと、すすきのの老舗喫茶店でおじいさんとパフェを食べたこと。

特別すてきな思い出というわけでもないが、たぶんこの先も忘れないと思う。


■72歳のクラスメイトと友達になった

私は最初の高校を中退し、通信制に再入学した。前の高校で単位を取っていないので、編入ではなく再入学。1年生からやり直しだ。

通信制高校はクラスメイトとの交流があまりなかった。火曜と日曜に登校日があるものの、定められた出席日数をクリアすればOKで、毎回行く必要はない。時間割も自分で決めるため、「同じ生徒と決まって顔を合わせる」ことがほとんどないのだ。

そんな中でも、ふとしたきっかけで友達ができることはある。メアドを交換したり、一緒にお昼を食べたり。

畠山さん(仮名)もそのひとりだ。

出会ったとき、たしか私が17歳で、畠山さんは72歳だった。どういうきっかけで話すようになったのかは覚えていない。たぶん、畠山さんのほうから声をかけてくれたと思う。

通信制でもシニアは少なく、畠山さんは目立つ存在だった。たぶん誰もが、「あぁ、あのおじいちゃんね」と存在を認識していたのではないか。

畠山さんは小柄で白髪頭。ダンディなロマンスグレーというわけではなく、「THE日本のおじいちゃん」という感じ。いつもニコニコしていて、誰にでも気さくに話しかける。

当時私は劇団に所属していて、年に数回の公演があった。畠山さんはいつも私の出る芝居を観に来てくれて、客席で大声で笑っていた。

あるとき、しばらく学校で畠山さんの姿を見かけないことに気づいた。担任の先生に聞くと、畠山さんの奥さんが亡くなったという。

母にその話をすると、「住所がわかるならお手紙とお花を贈ったら?」と言われ、私はその通りにした。花や手紙くらいで、畠山さんの喪失感が癒えることはないだろう。それでも、何もせずにはいられなかった。

しばらくしてまた学校で会ったとき、畠山さんは「お花、ありがとうね。嬉しかったよ」と言ってくれた。


■卒業式のあと、畠山さんとパフェを食べにいった

やがて私は卒業を迎えた。通信制高校は通常4年で卒業だが、必要な単位をすべて取れば3年でも卒業できる「年次短縮」という制度があり、私は3年で卒業した。

卒業式は知らない人ばかりだった。年次短縮してるので、同じ年に入学した人はまだ卒業じゃないのだ。

学校に思い入れがないので、卒業式はなんの感慨もなかった。スーツの人もいるが普段着の人もいる。抱き合って泣いてる人なんかいるわけもなく、みんな、退屈そうにしていた。

卒業証書と、セロファンに包まれた一輪の花が配られた。私は式の最中、椅子に座ったまま眠ってしまい、膝に乗せていた花を落としてビクっと起きた。

卒業式のあと、畠山さんとすすきのの老舗喫茶店『サンローゼ』でパフェを食べた。畠山さんが誘ってくれ、私がそれに乗ったのだが、内心では少し物足りなく感じていた。

畠山さんには申し訳ないけれど、本音を言えば、卒業式のあと同世代のクラスメイトたちと打ち上げする青春に憧れていたのだ。

どうしても、全日制高校に行った友人たちと比べてしまう。みんな、卒業式のあとは友達とカラオケに行ったり、プリクラ撮ったりしたんだろうな。いいな。

その日、私と畠山さんは『サンローゼ』でどんな話をしたのか。実は、まったく覚えていない。


■10年後、結婚を報告したら花束が届いた

その後、畠山さんと会うことはなかったが、メールや年賀状のやり取りは続いていた。

畠山さんは通信制高校を卒業したあと、通信制大学に進学。80歳で運転免許を返納する直前、車で日本中を旅したそうだ。それらの近況を、私はメールで聞いていた。私も、ときおりメールで近況を伝えていた。

29歳のとき、結婚が決まった。畠山さんにメールで報告すると、「お花を贈りたいのですが、〇日か△日は受け取れますか?」と返信が来た。候補に挙げられた日付は、「16日か22日」といった具合に、妙に間が空いている。不思議に思いながらも、都合のいい日にちを答えた。

その日、畠山さんから花束が届いた。

見た瞬間、たまげた。両腕で抱える大きさの、豪華すぎる花束だったのだ。深紅の、大輪の薔薇が28本。絵に描いたような「薔薇の花束」だ。

お礼の電話をすると、「大安の日に、末広がりの28本を送りたくてね」と言っていた。

大安か! 候補日の謎が解ける。

「こんなにしていただいて、本当にありがとうございます」

そう言うと、

「妻が亡くなったとき、サキちゃんからもらったお花が嬉しかったからね」

と言われた。


■思い出を美化しない

今思い出してもやっぱり、「卒業式のあと畠山さんとパフェを食べた思い出」は、私の中でそこまで楽しいものではない。

パフェを食べながら「本当は同世代のクラスメイトと打ち上げしたかった」と思ったことは、畠山さんに対してとても失礼だ。

だからこそ、そう思った自分を忘れてはいけないと思う。花束が嬉しかったからといって、遡ってパフェの思い出まで美化してしまうのは不誠実だ。

畠山さんとはここ数年、連絡を取っていない。私が携帯キャリアのメアドを持たなくなったためメールできなくなったり、年賀状の習慣をやめたりで、連絡が途絶えてしまった。お元気にしているだろうか。

久しぶりに、お手紙を書こうと思う。

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吉玉サキ
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