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服部真里子、王の帰還

話のまくら

本日から粛々と鑑賞をしていく。怒りを爆発させていると疲れるし、ぼくは口語文語問わず世界の素晴らしいものに触れたいと思っている。

「Xは相変わらず殺伐としてるなあ」と思ったら、Xはちょっと閉じて歌集を開くとよいかもしれない。

ぼくは特に自分でセレクトすることもなく、いただいた歌集については全部買った歌集と同様に記録を残すとあらためて覚悟を決めた。実はそのことにはじめて気づいて心配してくれたのは、やはり活動休止前の服部真里子さんだった。

「そんなことをしたら死んでしまいますよ」

と服部さんは真顔で言う。服部さんはなぜかガルマン歌会や横浜開港歌会にで、ぼくが出る場所でなぜかばったり出会う事が多かった。同じ方面の電車に乗ってかえったりして、ときどき「この歌いいですよね」みたいな話をすることもあった。

服部さんは心優しき人である。当時はぼくも仕事しなきゃ、と思っていたから、服部さんの「死んでしまう」という心配は痛いほどよくわかった。今ぼくはこの場に歌人として、というより仕事できない人間として戻ってきた。そしたら「この歌集がなぜセレクトされるのか」よりも「この歌集がなぜセレクトされないか」のほうが重要だと思うようになってきた。

歌集はごまんと世に出ているのに、取り上げられる歌集はだいたい被ってしまう。取り上げられない歌集には取り上げられないなりの理由があるに違いない。

しかし、取り上げられている短歌をちょっと厳しく言ってみたら、「実はその前提を著者と共有してなかった」みたいなことがあって驚くことしきりである。誰かが気まぐれでも「その歌集が取り上げられない理由」を書かなければいけないのではないか。

ということで、「謹呈された歌集は全部書いて残す」という試みを復活させることにした。もちろん買った歌集と謹呈された歌集には差はつけない。

そして今日は心優しき服部真里子さんの第一歌集『行け広野へと』をとりあげたい。この歌集が登場したのは2014年7月。実はぼくがメンタル不安定で病欠をはじめたのがこの前年くらいだったと思う。

実はこのまえがき、服部さんがとても心優しいということも、8年くらい前に用意していた。そして、「次はそんな事を言ってくれる服部さんの歌集をやらなきゃな」とひそかに8年前に誓っていた。それを服部さんに伝えると「それは嬉しいんですけど、無理しないでください」という模範的に優しい回答を貰ったのも覚えている。

2024年11月。それからもう10年経った。Xで誰もフォローしてくれないとぼやいていたぼくにいきなりフォローが飛んできたと思ったら、服部さんだった。ありがたすぎる。

うっかり

思わずTwitter名(あだ名)で読んでしまった。本人も由来を説明している。

この安易な名付け(笑)

まあいいや。あまり親密さを醸し出そうとするのは良くない。いくらぼくが孤独に打ち震えていたとしても、ぼくが服部真里子という歌人の何を知っているというのだろう。

いや、何も知らない。
ただ、何かを語れるかもしれない。

粛々と鑑賞をしていこう。

新世紀の幻視の女王


向こうという言葉がときに外国を指すこと 息の長い水切り

腐敗したもやしが少し森の匂い運命について思いはじめる

『行け広野へと』

これらの歌が含まれた評題作「行け広野へと」で服部真里子は2012年の短歌研究新人賞の次席になった。それは、そのときまだ総合誌をウォッチしていたぼくに「あの服部さんが?」という思いを抱かせるのには十分なインパクトだった。

「こんな近いところから一緒に活動してた若手が新人賞の次席になるの?」

という驚きとともに、次席になった歌に見入る。どう考えても受賞作よりありありとインパクトがあった。作者にもこの連作が当時の自己ベストという認識があったのか、歌集題にまでなっている。服部はそのあと歌壇賞を取ったけど、それはもう結果でしかなくて、ぼくの記憶に印象付けられたのは「短歌研究」の服部真里子だった。

掲出歌、これは「息の長い水切り」がものすごく効いている。というより水切りが「息の長い」なんて誰ひとりつけられなかったはずだ。あるとき、ふっと水面に向かってひらべったい石を投げると、それが遠くのほうまで連続して続いていく。それを息を凝らしてみていたのか、あるいは作者の息遣いの見立てではないのかもしれないけど、「息の長い」でなんとなく納得してしまう。衝撃的な修飾語の付け方だった。

そして上の句にあしらったのが、「向こう」だった。これは「つかず離れず」というか、ふつうの短歌として読める。意匠はめちゃくちゃ斬新なのだけど、上の句と下の句の「付かず離れず具合」をかなり歌を読んでいる歌人も楽しめる。この呼吸を扱える人は、だいたい「短歌をたくさん読んでいる人」なのだと思う。

二首目の、「腐敗したもやしが少し森の匂い」も衝撃的な見立てだ。「いやいやいや、冷蔵庫からそんな匂いしてくるっけ」と思ったら、いきなり「運命について考えはじめる」とこれもまた衝撃的なフレーズが続く。

再読して「あっ、確かに腐敗したもやしは森のにおいするかも」と思い、その取り合わせで「運命について思いはじめる」という作者の心寄せもものすごくよく効いている。これも「つかず離れず」の原則で「絶妙」な塩梅の歌に仕上がっている。

まずこれはいわなければいけない。
服部真里子はものすごく歌が上手い人だ。

最初の見立てがめちゃくちゃ衝撃的だから、一瞬「なんだこれは」と思う読者もいると思う。しかし服部は「問いと答えのあわせ鏡」とか「つかず離れず」とか、いろんな短歌を読んで技法を吸収してきた人だと思う。

これは公開していいエピソードなのかわからないけど、服部真里子には歌会熱心というか、負けず嫌いで向上心のあるところがある。毎回毎回一首のできにとても腐心していた。票が入らないことに本気で悔しがっていた。ぼくがガルマンで点を入れるとしたらだいたい1首は服部の歌になった。どことなく斬新なのだけど短歌的な意匠を秘めているのだ。

服部真里子は一見、なんか親しみやすい面白い人に見えるのだけど、内部に透徹した、鋭い歌人の目を隠しているのだろうと思う。

服部真里子は「名詞」で特大ホームランが打てる人である。いや、「名詞」という言い方はすこし不正確だ。少し前に、僕は想念のことをimaginal(イマジナル)と名付けた。服部の歌にはリアリティなどではなくイマジナリティがある。リアルの反対に「イメージのぶっとび具合」を称揚するイマジナルという「批評用語」があるとすれば、まさに服部真里子が拾ってきた道具の一つ一つが、ありありとした感情をもってイマジナルに輝いている。

その極限が、みたこともない想念の氾濫のような、感情の奔出のような、以下に代表される歌なのだろうと思う。

雪は花に喩えられつつ降るものを花とは花のくずれる速度

キング・オブ・キングス 死への歩みでも踵から金の砂をこぼして

東京を火柱として過ぎるとき横須賀線に脈打つものは

冬は馬。鈍く蹄をひからせてあなたの夢を発つ朝が来る

今見ても震えるような歌だ。

雪→花とイメージをずらしていきながら、最後「くずれる速度」に焦点を当てた一首目。これはみてる暇なんて作者にはないから、ひたすらイメージを想起するまま、思いつくままにスライドさせている感じなのだと思う。

キング・オブ・キングス このような大胆な初句の提示をぼくはみたことがない。ぼくはそれが何かを言い当てるのは無粋だとおもうのでやめる。「踵から金の砂をこぼ」すのがこの「キング」の歩みだとすれば、死への歩みのようなどんなに困難なものでも輝く、作者の鋭い生への讃歌である。

「東京を火柱」。まずこのように常人は想起しない。しかしこの歌がさらに冴えるのは、作者が同時に横須賀線に「脈打つ」何かを感じ取っていることだ。つまり東京は一過性の火柱に包まれているわけではなくて、常に「火柱」としてそこにあり、作者はその脇を夜ごと電車で通過する。もしかしたら、あの「火柱」と自分の乗っている電車に「つながり」があるのではないかと想起しながら。

冬は馬。もはや枕草子の世界なのだけど、葛原妙子にも「冬のかすみの奥に消える奔馬」の歌があったから、まさにこれこそ幻視の短歌の正道なのである。恐ろしい想念を内に秘めた作者がここにいる。それだけなら、佐藤弓生や雪舟えま、そしてなんといっても東直子がいたじゃないか。だが服部はその先行する想念の歌人と比べても出色だ。もはや肩を並べている。

そういえばあまり誰も指摘しないのだけど、服部の文体は東直子の文体をそのまま維持することからはじまったのではなかっただろうか。そこから出発していろいろな独自の呼吸や破調を大胆に導入してきたのではなかったか。

耳朶をうつ雪のはばたき子を産まぬ予感はときに幸福に似て

セキレイの背にも雪降るこの夜を帰り来たりぬ喪服のままに

セキレイのことを数秒間思う夜明け  引き出し閉めて立ち去る

運河を知っていますかわたくしがあなたに触れて動きだす水

服部が短歌を修練で掴み取ったことをよく表す歌群である。

一首目、服部と同世代の歌人に「耳朶(耳たぶ)をうつ雪」という用語を歌に入れられる歌人はどのくらいいるのかわからない。しかし短歌ではやや慣用的なこの入り方も、服部の手にかかると、「はばたき」という飛翔のイメージに変わる。そこまで想念を手塩にかけた上で、いきなりみずからの思いを述べる。服部の短歌定型を学び取ろうという意思を強く感じる歌である。

「夜の渡河」ではセキレイという鳥が出てくる。永井祐の作品にセキレイがでてくることはないだろう。しかし、わたしたちは日本語であの鳥をセキレイということを知っている。「背にも雪降るこの夜を」いかにも文語的な調子だが、美しい「喪服」を導き出す定型の力を十全に活かしている。同じセキレイが口語でも歌われていて、わたしたちはその差を感じることができるだろう。

四首目、これはぼくがおそらくガルマンで票を入れた歌だと思う。服部真里子というと、イメージの奔出ばかりが目立つのだけど、穏当な運河や水という歌の小さな細部にまで気配りができるのである。

これが現代短歌のなかで、とにかく図抜けた想念を呼び込んでくる服部真里子の足腰なのだ。おそらく服部真里子が不在の現代短歌は、スーパーの3割引のおさしみみたいな状況になってしまう。

現代短歌の想念の3割を服部が持っていると言っても過言ではないかもしれない。

感覚はいつも静かだ柿むけば初めてそれが怒りと分かる

なぜそんな開けっ放しの感情を 日のあたる庭に百舌のはやにえ

そしてわたしたちは、最後に服部が持っている想念の根源に「感情」があるのに気づく。想念の根源は感情である。葛原妙子も「紋章のないかなしみ」を歌い、もっと遡ると戦後短歌の情念の歌人、中城ふみ子も自らの悔しさを隠して「目を閉じて見える四国」を歌ったではないか。

わたしたちはこの「想念」全盛の時代にあまりにも正統な幻視の女王の降誕をみたのだ。それこそを素直に、手放しで喜ぶべきことだろう。

服部を女王たらしめているのは、イマジネーションの飛躍具合だけではない。基礎的な短歌の修練と、感情への深い心寄せがはじめて服部を歌人にしたのだと思う。

私は服部真里子をことほぐことしか出来ない。しかし将来、服部真里子にことほがれる歌人が、服部の意志を受け継いでいくことを強く願う。

本日の参考文献

服部さんの第一歌集、ぜひ紙で愛蔵してほしい。

家が本でいっぱいの方には電子もありますよ。

第二歌集。実はいろいろ事情でまだ読んでないです。がんばります。




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西巻 真
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