青葉隆造

ペンネーム 初めての海外は1984年香港~広東~杭州~上海 フェリーと寝台列車で移動 あれから36年、同じことは難しいと思うが、また辿ってみたいルート

青葉隆造

ペンネーム 初めての海外は1984年香港~広東~杭州~上海 フェリーと寝台列車で移動 あれから36年、同じことは難しいと思うが、また辿ってみたいルート

最近の記事

Longcovidからのリハビリ ⑦【体力・筋力の回復】

後遺症の発症から2ヶ月間は安静を守り、決して無理をしないことが推奨されています。多少は動けるかといって活動した場合には、症状悪化のリスクがこの期間には高いと言われています。場合によっては通院そのものも負荷になり、その反動が来る場合もあるようです。 自分は後遺症を自覚して2週目にBスポット治療のため通院を開始したのですが、その頃は強い倦怠感もあって体の自由も効かず、自力での通院は困難でした。週一回の通院を現在も続けていますが、最初のひと月程は郊外のクリニックへタクシーでの往復

    • longcovidからのリハビリ⑥ 【ペーシングの難しさ】

      後遺症からの回復の際に行うことの一つとして、ペーシングが取り上げられています。 自分の後遺症の中では、倦怠感やブレインフォグ(頭のしびれ、もやもや感、思考低下など)が見られ、これらは様々な負荷、外出や運動、家事、デスクワーク、会話、スマホやパソコンの操作などを行った後にも起こりやすく、1日や1週の中での症状の波が頻発していました。 自宅療養と言えども日常的にいろいろな動作も必要で、通院や買い物にも出掛けなければなりません。また体調が上向けば、少し欲張って動こうとすることも

      • longcovidからのリハビリ⑤【睡眠の大切さ】

        自分の後遺症の一番の症状は倦怠感ですが、強い倦怠感を感じてひたすら耐えているのではなく、実際は横になって時が過ぎるのを待つことが多いと思います。もちろん仕事や家事、日常のことの多くが出来なくなり、精神的にも金銭的にも苦しい状況が続く方も多いでしょう。そうした逆境にも耐えながら、回復の道を探らねばならないのが、この後遺症の大変なところだと思います。 倦怠感が一番強い時期には、日中のほとんどの時間帯に横になったり、睡眠を取っていました。特に午前中は朝食後もすっきりせず、二度寝し

        • longcovidからのリハビリ④【呼吸リハとの出会い】

          平畑先生の新型コロナ後遺症のサイトを見ると、呼吸リハビリ(以下、呼吸リハ)という取り組みが紹介されています。平畑先生と鍼灸師の野崎真治先生(のざき鍼灸治療院代表)とが行う呼吸法の動画が掲載されており、あお向けや横臥などのポーズで深い呼吸を行う方法が色々と紹介されています。そしてSNSで野崎先生の呼吸リハのオンラインセッションを行うというお知らせを見て、直感的でしたが効果があるのではと思い、申込みをしました。 セッションは9月から始まり、週1回のペースでzoomを通じ行われて

          longcovidからのリハビリ③【倦怠感が強まる】

          第7波になってから、後遺症の最も多い症状として倦怠感が挙げられています。ワクチン接種でも発熱や倦怠感などの副反応が言われていましたが、自分のワクチン接種経験では軽い筋肉の痛み程度しかなかったため、倦怠感は初めての経験でした。 倦怠感は1日中感じる訳ではなく、1日の中での波や、日によっての波がありました。特に目覚めてから午前中いっぱいは、手足がしびれる感覚があり、じっと横になって時が過ぎるのを待つ状態でした。また午後から調子が上向けば、通院など外出をすることもありましたが、そ

          longcovidからのリハビリ③【倦怠感が強まる】

          longcovidからのリハビリ②【自律神経失調症の記憶】

          covid-19の回復期にからだが重くなり、それでも必要な日常動作を行うと頭も重くなるような症状が出始めました。第7波での後遺症として倦怠感が多いことや、自律神経の働きに影響が出ていることなど、平畑先生のサイト(文献1)から学び、これは後遺症ではないかと直感しました。 自分は30代に自律神経失調症により半年間休職したことがあって、その時のからだの感覚や反応と、今回の症状が良く似ていることにすぐに気付きました。からだの力が抜けて、いつもできたことができなくなる辛さは、完治後も

          longcovidからのリハビリ②【自律神経失調症の記憶】

          longcovidからのリハビリ①【はじめに】

          本年8月初旬にCOVID-19陽性となり、発熱や倦怠感、ノドの痛みなどを発症しました。症状は軽い方であったと思いますが、その後は倦怠感が強まり、現在も社会復帰ができない状況にあります。新型コロナ後遺症の存在は、味覚障害などを中心に知られていたと思いますが、自分の場合にそれはなく、強い倦怠感によって体の自由が奪われ、また仕事も出来なくなるという辛い状況にあります。 現在も後遺症を専門に診察する医院も少なく、どこも予約待ちの状態にあり、診断や治療にたどり着くのも一苦労です。その

          longcovidからのリハビリ①【はじめに】

          揚げ物の思い出

          とんかつは、子どもの頃の日常食だった。最近は揚げ物をすることも、店で食べることも控えるようになったが、たまに食べると昔の味を思い出す。 子どもの頃の揚げ物には、天ぷらやかき揚げも多く、釣りの成果のキスを揚げることもあった。しかし中心はカツで、ころもをたっぷりつけて小学生の自分が揚げることもあった。揚げたてのカツを包丁でザクっと切って、当時はプルドックの中濃ソースをドボドボかけて、ごはんや千切りキャベツと食べた。今と変わらない食べ方で、大人も子どもも好きな味をだと思う。 と

          揚げ物の思い出

          韓国の思い出

          韓国には毎年のように視察の機会があり渡航していた。最後に行ったのは2年前の1月末になる。ソウルでのコロナ感染が拡大していた頃で、ぎりぎりのタイミングだったが、なんとか2泊3日で行くことができた。 現地ではバスをチャーターして、一日中の移動である。昼に仁川国際空港に降りて、そのまま高速道路に乗り、南部の施設園芸地帯に行くこともあった。高速道路が全土をめぐっているため、乗りっぱなしの時間が実に多かった。 途中サービスエリアで休憩や食事を取るが、どのサービスエリアも似たような感

          韓国の思い出

          オンラインブレッド教室

          zoomを通じてパン作りを学ぶコースがあって、自宅キッチンより受講した。 パン作りには、こね台、発酵器、オーブンレンジなど大道具や、ボール、計量スプーン、スケパー、木べらなどの小道具が必要だが、それらに加えて今日はキッチンの天板にスマホを立ててのパン作りだった。 レシピ通りに計量した材料を混ぜ、水をさし、バケットなので軽くこね、一次発酵、二次発酵と手順を進めた。画面の向こうの講師先生からは、ポイントポイントでのチェックが入る。特にコネの状態、発酵の進み具合、そして最後の焼

          オンラインブレッド教室

          ジーンズの寿命

          服は穴が開いたりほつれたりするまで着ることが多い。ボタンが飛んでも気にせず着たりする。裁縫が出来ないということもあるが、裁縫店に持ち込めば済むことでもある。それもせず、とにかく着倒す。逆に着倒さない服はあまり着ずに廃品回収行きになる。穴やほつれは、愛着のバロメータということでもある。 ジーンズや作業着風の服なら、穴が開こうが、裾がほつれようが、まったく問題なく着ている。問題はどこまで着倒すか、ということになる。生地のヘタり具合、穴の大きさなど物理的な限界も当然ある。でも限界

          ジーンズの寿命

          バケットに合う食事

          今年になって自分でバケットを焼くようになった。時短のレシピで2時間程度で発酵を繰り返して、成形から焼成まで終えてしまう。本格的とは言えないが、外でバケットを買うことは少なくなった。 もともとバケット好きで、空腹のときにバケットだけで腹を満たすこともあったくらいだ。今も深夜に焼き上げたときなど、がまんできずに1/2くらい食べてしまうこともある。 本来はそんな食べ方ではなく、主食となるバケット。サンドイッチは少々食べづらく、スープやポトフなどの煮物や、ローストビーフと一緒に食

          バケットに合う食事

          金時豆のスパイスカレー

          金時豆はチリコンカンに使うこともあるけれど、クミンやコリアンダーベースのスパイスカレーに合うかなと思い入れてみた。 ベースはとりモモとトマトやタマネギ、黄パプリカなどの野菜ダシ、金時豆は強い主張もせず、かと言って隠れるわけでもなく。

          金時豆のスパイスカレー

          ソリッドステートサァバァイヴァー

          一年前の昨夜NHKのYMOソリッドステートサヴァイヴァー、マスターテープ特集はマニヤックでしたねー   細野さん(71)に呼ばれたシーナ&ロケッツの鮎川誠(70)が、デイ・トリッパーのマスターテープでリードギターかき鳴らしてたのが、トラックダウンで頭カットされてたのとか、プログラマの松武秀樹が自前の当時のすごいアナログシンセを今回もスタジオに持ち込んでボリュームいじったりで、ゲスト本人が今だからの話をやってくれてた 💨   YMOメンバー予定?だった横尾忠則(81)は、結成記

          ソリッドステートサァバァイヴァー

          年明け蕎麦

          年越し蕎麦ならぬ年明け蕎麦を食べた 駅前の親爺さんひとりでやってた蕎麦屋 満員の客を順にこなすのに手一杯で、注文取りに来るまで30分近くかかった まもなくキノコたっぷりの山菜蕎麦が出されおいしくいただいたが、食べ終わる頃に親爺さんが「お待たせして申し訳ないね」と、珈琲カップに甘酒を注いでくれた 熱い甘酒を冷ましつつ、ようやく飲み終わる頃に親爺さんがまた「お待たせして申し訳なかったね」と、今度はポリの包装ごと切った米屋の栗羊羮を手渡しでくれた 客が落ち着いた頃に常連とお

          年明け蕎麦

          神奈中バス優先席

          神奈中バス優先席