渡辺(読書/散歩)
2024.10/1-10/4 三重県、和歌山県、奈良県の旅。 記事は上から順番に時系列になっています。
2024.4/10-4/12 奈良県にある吉野山の桜、古刹、神社の有名どころを巡りました。 吉野山→万葉文化館→長谷寺→瀧蔵神社→大神神社→石上神宮→山の辺の道→檜原神社
暖かい日が続くのはありがたいが、晩秋と冬の匂いを感じたいとも思う。寒くなったらなったで、早く暖かくならないものかと願う。ないものねだりだ。 紅葉が例年よりも遅れているのは、暖かすぎる日々が続いているからだろう。そうは言いつつ11月も後半、公園を歩けば色づいたモミジが見られるようになった。いつまでも去ろうとしない夏と、スタンバイしている冬に挟まれて存在が消えかかっている秋だが、ゆっくりと確実に深まってきている。 おそらくは日の当たりぐあいの関係。隣り合うモミジで片方は青々と
長い旅だったと思う。交通機関も未発達な時代。歩いて歩いて歩き続けて、そうして最後にたどり着いたのが伊勢だった。 崇神天皇の時代(3〜4世紀頃?)。宮中で祀られているアマテラスの威光が強すぎるため、別の場所に移すことが提案された。 何人かの皇女が様々な地でアマテラスを祀ったが、なかなかしっくりこない。そのお役目を最後に担ったのが、倭姫命だった。倭姫命はアマテラスの依り代である鏡を携えて大和(奈良県)、近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)と各地を放浪。そんな長い旅路の果てに、とうと
目覚ましはかけていないが、早くに目が覚める。空調のきいた部屋で足を伸ばして寝られることのすばらしさを実感。体の疲れがとれているのがわかる。気取りながらカーテンを勢いよく開く。曇天。朝食もとらずに車を走らせた。 二見興玉神社海は灰色の空と混ざり、青緑色となって凪いでいる。「お伊勢参りは二見から」と言われるように、伊勢神宮を参拝するときは、先に二見興玉神社で禊をするのが一般的な作法とされている。 さすがに海に体を浸している人はいない。波打ち際までいって手を濡らしている人はちら
※サムネイル写真は「伊勢旅館組合」から引用 玉置山を下りて道なりに南下。海に当たったと思ったら、花の窟神社の前だった。神社の隣にあるコンビニで休憩。その後の予定を考える。 本来であれば玉置神社に行って、今回の旅は終了のはず。それが大雨のためにいくつかの予定の削りと繰り上げがあって、まる一日の空白が生まれた。 最初は一日早いが帰宅しようと考えていたが、色々回っているうちに雨の旅が楽しくなり、そのまま帰るのが惜しくなった。静岡に戻りつつ、事前の調べがなくてもある程度は勝手が
険しい山、何度も同じような道を進み、いつの間にか高いところまで上っていた。少し開けたところに車を停めて窓を開けると、高い調子の笛の音のような、鹿の鳴き声がこだましてきた。今回の旅は、なにかと鹿に縁がある。 「呼ばれないと行けない」と言われている神社がある。奈良県、和歌山県、三重県の堺目にある、玉置(たまき)神社もその一つだ。何かの機会で神社の存在を知る。次にその神社に行こうと考える。そして神社の場所を調べると山奥や僻地にあることがわかる。そのうえで実際に足を運べるかどうかを
新宮市に戻り、熊野川沿いをひたすらのぼる。雨は強くなったり弱くなったりを繰り返している。道は山の斜面と熊野川に挟まれていて狭い。雨の影響で、ところどころに立派な滝が出来上がり、熊野川へとそそぎ込まれている。 熊野本宮大社熊野本宮大社はもともと熊野川、音無川、岩田川の合流地点である中洲に鎮座していた。それが明治時代の水害で流されたため、数百メートル上った現在の位置に移動したという。 東西南北から伸びる熊野古道の終着点。徒歩で山中分け入り、ようやくたどり着いたときの達成感と安
10月3日。夜来の雨は降ったり止んだりを繰り返し、明け方にとうとう本降りになった。昨夜は寝たのか寝てないのかよくわからない。熟睡していた時間は少なかったと思う。 時刻は6時過ぎ。大きな雨音を感じながら、本日の予定を決めかね、なかなか外に出れずにいた。 予定では熊野那智大社に参拝してから、熊野本宮大社へと移動。バスで発心門王子に向かい、そこから7キロほど古道を歩くはずだった。事前の調べでは天気は曇りのち小雨だったので、それくらいなら歩けるだろうと踏んでいた。 しかし蓋を開
船が暗い海を走る。勝浦の港に帰ってきた。これから夕食をとって、寝床へと向かう。食べる店は事前に決めていない。港町で宿も多いので、どこかしら食堂があるだろうと高を括っていた。 しかし地図を見ると多くの店が「営業時間外」。「営業中」の店を頼りに行ってみても閉まっている。普段からこうなのかわからないが、地方の店で営業日や時間が曖昧だったりするのは珍しいことではない。仕方がないのでチェーンのファミレスや牛丼屋さんにしようと思ったが、それらもかなり離れたところにあるようだ。 あちこ
船は緩やかな曲線を海面に残しながら、対岸へと進む。半島は想像していたよりも岩山になっていて、未開拓部分が多いように見える。 到着。時刻は16時半くらい。船を降りると目の前にホテルの入口があるのが面白い。半島であることを忘れ、孤島に来たような心境。 日帰り入浴券は1500円。簡単な説明と館内のフロアマップをもらう。本館からは左に右に通路が出ていて、各種温泉のある別館へと繋がっている。港に戻る船の最終便は19時くらいなので、ゆっくりすべての温泉に入っても時間に余裕があるはずだ
鬼ヶ城、花の窟神社、熊野速玉大社、神倉神社とまわってきた。時刻は16時くらい、少し早いが10月2日の行程を無事に終える。 自分は旅をするとき、予定を詰め込みすぎてしまう。そうして時間が足りなくなって断念するスポットがあったり、夜頃まで動き回ってへとへとになってしまったりする。今回はもう少しゆとりを持たせてもいいんじゃないかと考えていた。 温泉、宿に泊まらなくても、日帰り湯でのんびりして疲れを癒やす。あとに予定がつかえていない状態でゆっくりできることを想像すると、それだけで
熊野三山とよく聞くが、詳しいことは知らない。熊野古道、修験者など断片的なキーワードが曖昧に浮かぶ。なんとなく山奥で、秘境で、自然豊かで、歴史があって、そしていつかは行きたいくらいの認識だった。 改めて勉強、wikiっぽく三行。 熊野三山とは、和歌山県の紀伊山地にある「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」を指す 神道と仏教が混じり合った神仏習合の名残があり、三社へとつながる東西南北からの道を熊野古道という 2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺
鬼ヶ城から向かった先は花の窟(はなのいわや)神社。国生みの神であるイザナミノミコトと、火の神であるカグツチノミコトを祀った日本最古の神社の一つとして知られる。 近年は野球の大谷翔平選手が参拝していたことでも話題になっているらしい(中日新聞 , 「球運上昇」大谷翔平が触れた丸石がパワースポットに 三重・熊野の花の窟神社)。駐車場はほぼ満車、すべりこみセーフ。10月2日は偶然にも、年に二回おこなわれる例大祭の日だった。 花の窟神社には社殿がなく、45mの巨岩を御神体として祀っ
10月2日、起きたら鬼がいた。 赤鬼と青鬼の人形、間には「鬼」の文字看板。ぐっと伸びをするとやわらかな潮風が頬に当たる。少し遠くからは波の音がする。昨晩はまったく気づかなかったのが不思議だ。 鬼ヶ城(おにがじょう)は流紋岩(マグマが冷えて固まった岩)を波風が削って作った奇岩、洞窟の遊歩道。真下に海を見ながら岸壁沿いを歩けるようになっている。地図でみると片道1キロくらい。朝の散歩にちょうどいい距離なのですべて歩くことにした。 流紋岩の崖は地盤の隆起の影響で段々になっている
11月に出雲に行くことを画策して飛行機チケットを検索。全国から集まってくる神々を迎える「神迎祭(かみむかえさい)」に合わせた便は、割高の席しか余っていなかった。安い時期の料金に比べるとその差は倍以上。さすがにこれを払う気にはなれず断念。 メモ帳にある「いつか行く場所」の候補地をざっと眺める。白羽の矢が立ったのは和歌山県。熊野三山を巡る熊野詣だ。 10月1日、20時頃。夕食と風呂を済ませてから車に乗り込んだ。静岡から和歌山まで車でおよそ4時間半。運転で時間と体力を使うので、
暑さが入り交じる秋の夜は、眠りが浅くなる。エアコンを使うほどではないが、寝ていると暑くて目が覚める。そうして布団を蹴飛ばして寝ていると、今度は寒くなって目が覚める。 鈴虫やらなにやら、秋の虫の音が聞こえる。ときおり遠い闇の向こうから、電車の走る音が聞こえてくる。自宅から線路までは距離があるので、「本当に電車の音か?ここまで聞こえるものなのか?」と半信半疑。日中には絶対に聞こえない音。 秋の空気をふるわせて伝わってくる汽笛の音に馴染みはない。想像はする。蒸気機関車が遠い時代
宇津ノ谷峠に来た。これから入ろうとする道は薄暗く、蔦(つた)などが生え茂っていて心細い。 宇津ノ谷峠を越える道として奈良時代から存在している「蔦の細道」は、『伊勢物語』の中で語られた面影を今も残している。 現在、峠を抜ける道は6種類存在しており、それぞれ古代、近世、明治、大正、昭和、平成に作られたもの。上書きされずに都度、新しい道を開拓したおかげで、すべての道がいまだに現役で使える。珍しいことだと思う。 今回歩いたのは古代の道の「蔦の細道」。公園として整備された道を川沿