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熊野本宮大社、大斎原【和歌山県田辺市】

新宮市に戻り、熊野川沿いをひたすらのぼる。雨は強くなったり弱くなったりを繰り返している。道は山の斜面と熊野川に挟まれていて狭い。雨の影響で、ところどころに立派な滝が出来上がり、熊野川へとそそぎ込まれている。

熊野本宮大社

熊野本宮大社はもともと熊野川、音無川、岩田川の合流地点である中洲に鎮座していた。それが明治時代の水害で流されたため、数百メートル上った現在の位置に移動したという。

東西南北から伸びる熊野古道の終着点。徒歩で山中分け入り、ようやくたどり着いたときの達成感と安堵感は想像してもしきれない。

巨大な神門、ここより先はSNS等への写真や動画のアップが禁止されている

神門をくぐった先にある本殿は五箇所が横並びになっており、参拝する順番が決まっている。熊野速玉大社と同じようなスタイルで、そちらが朱塗りの派手な建物だったのに対して、こちらはヒノキの樹皮で屋根を覆った古風な色合いで作られているのが特徴。

細い雨が傘を叩く。社叢は薄い煙のような霧に包まれていたが、開かれて薄日がさす本殿周りは仄白く光って見える。今日のようなコンディションの日に、ここに来れてよかったと思う。

大斎原(おおゆのはら)

大斎原の大鳥居、あいにくの空模様

熊野本宮大社を出て川沿いに少し南に下ると、巨大な鳥居が見えてくる。日本一大きいという鳥居の高さは34m。田んぼと山に挟まれて開放感があるこの場所は大斎原といい、もともと熊野本宮大社があったところだ。

現在は堤が作られ周辺が整備されているが、もとは三つの川に挟まれていた土地。当時は橋がなかったので、参拝者は川をわたっていく必要があり、これをそのまま禊としていたという。大雨が降れば簡単に飲み込まれてしまいそうな場所で、むしろよく明治時代まで流されることなく鎮座していたものだと思う。

巨大な杉木立の参道は丁寧に整備されていた。本殿のあった場所はぽっかりと空き地になっており、かなり大きな神社だったことがわかる。1万坪を越える敷地には五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿、能舞台、宝物殿などがあり、その広さは現在の数倍の規模だったという。

大斎原を出たあとは、宮ずしというお寿司屋さんで定食を食べた。記事を書いていて気づく。自分の旅には食事の写真が一つも出てこない。グルメレポとまではいかなくとも、旅に彩りを与えてくれた食事に、今後はもう少し意識を向けようと思った。

店を出ると雨が弱まっていた。予定通り、玉置神社へと向かう。

つづく

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