熊野速玉大社、神倉神社のこと【和歌山県新宮市】
熊野三山とよく聞くが、詳しいことは知らない。熊野古道、修験者など断片的なキーワードが曖昧に浮かぶ。なんとなく山奥で、秘境で、自然豊かで、歴史があって、そしていつかは行きたいくらいの認識だった。
改めて勉強、wikiっぽく三行。
熊野三山とは、和歌山県の紀伊山地にある「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」を指す
神道と仏教が混じり合った神仏習合の名残があり、三社へとつながる東西南北からの道を熊野古道という
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された
熊野速玉大社【和歌山県新宮市】
今回の旅の主目的である熊野三山の一角、熊野速玉大社を参拝。思っていたよりも市街地に鎮座している。祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)。聞いたことのない名前だがイザナギノミコト、イザナミノミコトとされているらしい。神様は呼び名を複数持っているのが当たり前なのでややこしい。
御神木の梛(なぎ)がとにかく大きい。大きなブロッコリーのよう。朱色の枠組みや柱で作られた神門、拝殿はお寺のような雰囲気があった。
空は青く、日が照っていて暑い。秋晴れの参拝日和だが人はまばらだ。境内には拝殿がいくつもあり、すごい勢いで小銭が減っていく。奈良を旅したとき、小銭が底をついて百円玉、五百円玉を賽銭箱に入れたことを思い出した。
摂社の恵比寿神社にお参りしている人が、賽銭箱の横に置かれた木槌で太い板を叩いている。多くの人に叩かれているであろう板は、木槌の形にへこんでいる。あまり見たことのない参拝方法。何をしているのか尋ねると、「これで恵比寿さんを起こしているんだよ」と教えてくれた。叩く回数に決まりはないらしい。
参拝客のなかには、花の窟神社のお綱掛け神事にいた人もいる。東からの旅行者であれば、花の窟神社から熊野速玉大社に行くのは鉄板のルート。向こうもこちらに気づいているだろうかと、変にソワソワしてしまう。
参拝を終える。駐車場は境内の木々が影になっているおかげで、車内が暑くなっていない。15分だけ仮眠をとってから次の目的地へと向かった。
神倉神社【和歌山県新宮市】
神倉神社は熊野の神々が最初に降り立ったとされる、熊野信仰のエピソードゼロ的な地。神倉山(標高およそ120m)の山頂にある、ゴトビキ岩が御神体となっている。ゴトビキは和歌山県の方言で「ヒキガエル」。
入口の鳥居をくぐると一気に涼しくなる。右手には山から流れてくる小川があり、手水舎は黒いパイプで湧き水を贅沢に流している。勢いが強く、水量が多い。
二の鳥居をくぐるとすぐに階段が現れた。神倉山の名物という急な石段は、その数なんと五百段以上。お祭りの日には松明を持った男衆が全速力で石段を駆け下りるらしい。想像しただけでもスリリングでひやひやしてくる。
石段の隙間には大量の蟹がいた。写真ではわかりにくいが、サワガニよりもずっと大きい。他の参拝者もそれを見つけるとしゃがみこんで、その大きさに驚いている。観察はきっと休憩も兼ねている。蟹の種類はおそらくアカテガニ。
急な石段は中腹を過ぎるとゆるやかになり、呼吸が整うくらいにちょうどゴトビキ岩が見えてくる。参拝を済ませて町の景色を見ていたら、後から来た初老の男性に話しかけられた。
男性は近隣に住んでいるらしく、日に二度も三度も神倉神社に登っているという。拝殿横の石を越えてゴトビキ岩の側面背面も拝むといいこと。岩に触れながらお願い事をして、パワーをもらいなさいということを教えてもらった。そのまま下山するところだったのでありがたい。
ゴトビキ岩にぺたぺた触っていると、「こうやるんだよ」と言って男性は岩と岩の隙間に立ち、両手を大きく広げて両側に触れた。そのポーズが本当にパワーを溜めているようで、思わず「おお…!」と後退りする。パワーが溜まっていくゲージ、湯気やオーラが見えそう。
「それじゃあ」というと男性は軽やかな足取りで去っていく。しばらくして自分も下山。すれ違う参拝客に話しかけている男性に追いついてしまう。今度は三人で蟹とマムシの話をした。静寂のなかでの参拝とはいかなかったが、賑やかなのも時には楽しい。一期一会。
つづく