夜汽車の音と秋のこと
暑さが入り交じる秋の夜は、眠りが浅くなる。エアコンを使うほどではないが、寝ていると暑くて目が覚める。そうして布団を蹴飛ばして寝ていると、今度は寒くなって目が覚める。
鈴虫やらなにやら、秋の虫の音が聞こえる。ときおり遠い闇の向こうから、電車の走る音が聞こえてくる。自宅から線路までは距離があるので、「本当に電車の音か?ここまで聞こえるものなのか?」と半信半疑。日中には絶対に聞こえない音。
秋の空気をふるわせて伝わってくる汽笛の音に馴染みはない。想像はする。蒸気機関車が遠い時代の幻となった現代でも、夜汽車の持つ独特の寂寥感は読み手に憧憬の念を抱かせる。
夜汽車ほど幻想的ではないが、静かな夜にだけ寝室に届く「鉄橋を渡る電車の音」も、なかなかどうして捨てたものではない。タタン、タタンと規則的に、少しずつ音が離れていくのがいい。
清少納言は随筆で「秋の夕暮れに、飛び去って小さくなっていく鳥がいい」と書いた。鳥でも汽車でも、音でも姿でも、何もかもどこか遠くへ離れていってしまうような気がするのが秋なのだろう。
実った稲穂は刈られ、腹を大きくしたカマキリは寒さで動きが鈍くなり、燃えるように咲いた彼岸花はあっという間に枯れていく。お彼岸の頃、朝と夜の時間はほぼ同じになる。夕焼けは一年で最も赤く、強く燃えて、一気に沈むように感じる。秋には盛りと衰退が同居している。