呼ばれないと行けない玉置神社のこと【奈良県吉野郡十津川村】
険しい山、何度も同じような道を進み、いつの間にか高いところまで上っていた。少し開けたところに車を停めて窓を開けると、高い調子の笛の音のような、鹿の鳴き声がこだましてきた。今回の旅は、なにかと鹿に縁がある。
「呼ばれないと行けない」と言われている神社がある。奈良県、和歌山県、三重県の堺目にある、玉置(たまき)神社もその一つだ。何かの機会で神社の存在を知る。次にその神社に行こうと考える。そして神社の場所を調べると山奥や僻地にあることがわかる。そのうえで実際に足を運べるかどうかを検討する。
様々な運やハードルを越えてはじめて行けるような場所だから、「呼ばれないと行けない」と言われるようになったのだろう。
今朝の雨から、「呼ばれないと行けない」というフレーズが何度も頭に浮かんでいた。これだけの土砂降りでは参拝が難しいのではないか。道が落石などで通行止めになっているのではないか。事前の調べでは、玉置神社に行こうとしたけど急な大雨で断念した、道が細すぎて運転を諦めたといった意見も少なくない。天に聞くなら、この雨は言うまでもなく「呼ばれていない」に判定される。
しかし熊野本宮大社への参拝を終えると、雨が弱まっていた。玉置神社までは、熊野川沿いにひたすら北上して、十津川村という温泉街から山に入り、道なりに進めば到着する。ナビでの所要時間はおよそ1時間。近くまで行って通行止めを食らったら困るが、それはそれで話の種になる。行くか行かざるかギリギリまで迷ったが、「ええい、ままよ」とハンドルを切った。
険しい山道に苦戦しながら、車を走らせる。十津川にかかる猿飼橋を越えると、道はより狭くなり坂となった。すれ違いの車が多いが、タイミングよく待避所を使うことができたのは幸い。
平日、雨、山奥の細い道。そんな条件でも玉置神社に向かう人が数多くいることに、気分が上がってくる。すれ違いざまに「この先、今日は通行止めになってますよ」なんて言われないかと懸念していたが、それもなかった。案内看板に沿って進んでいると、開けたところに広い駐車場が現れた。まずは無事に到着。
玉置神社(奈良県吉野郡十津川村)
玉置神社の創建は紀元前30年頃とされている。修験道や密教の聖地として知られる吉野山、高野山、熊野三山のルート上にある重要拠点で、神仏習合時代には宗派を問わず多くの人で賑わっていたという。
参道の細い山道を歩く。雨は弱まっているが、霧が濃い。数メートル先がほとんど見えず、心もとない道のり。向かいからの参拝者とのすれ違いにほっとする。
植物に詳しくないが、特徴的な低木がたくさん生えていることに気がつく。上記写真の左下に写っているのは、特に数が多かったホンシャクナゲ。
本殿に到着。年季の入った石垣と狛犬、社殿の建材はケヤキ、様式は入母屋(いりもや)造り・平入り。参拝者は自分以外に二、三人いた。
参拝。下世話な話、賽銭箱に万札が何枚か見えて、参拝者の並々ならぬ祈りの強さに気圧されてしまう。祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)、イザナギノミコト、イザナミノミコトの三柱、中央の拝殿から右側に天照大神、左側にカムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)、その他に摂社と末社がある。メジャーネームが多いなかで、国常立尊はあまり聞かない名前。古事記の最初にぶわっと現れた神の一柱。
摂社、末社と参拝を済ませる。江戸時代に作られた社務所は老朽化のため、修繕工事中。もう一度全体を見わたし、静かな雨音を聞く。湿った森の空気が霧状の雨と混ざり、体全体を包みこんでいる。
このあたりで、心のチューニングが合ってきたのを感じた。「雨の参拝、いいじゃん」という心境。今朝は「ついてないなぁ」と憂鬱気味だったが、よく考えれば自然が最も息づくのは雨のときだ。万物を潤し育む雨を「慈雨」ともいう。『センス・オブ・ワンダー』で雨の森を散策するシーンが好きだったことを思い出す。
そのまま奥に進むと玉置山の山頂につながっている。しかし雨脚が強くなってきていたので、ここらが引き時だろうと思い駐車場に戻る。
丸山千枚田(三重県熊野市)
玉置神社を出てから、すぐに土砂降りとなった。名もなき滝が増水して迫力ある景色になっている。
山を下りたあたりで雨は少し弱くなる。途中に丸山千枚田という棚田があったので寄り道。こんな天気でも写真撮影に来ている人がいて驚かされる。
旅の最中は気が付かなかったが、玉置山の道中にある玉石社に行くことをすっかり忘れていた。忘れていたというよりも、なぜか行かなかった。
事前の調べでは玉石社に行くと決めていた。玉置神社の境内マップの看板で名前を見たことも覚えている。そんなことあるかと思いたいが、強まる雨で山頂に向かうことを断念したとき、同時に玉石社のことも頭から抜けてしまったらしい。
痛恨のミス。「呼ばれなければ行けない…」のフレーズが頭のなかでリフレインする。「また来なさい」ということだろうと、都合よくポジティブに書き換える。旅は終わらない。
つづく