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通信教育にて仏教学の修士課程を修了し、 在野の身にて、研鑽の日々を送っております。 (…

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通信教育にて仏教学の修士課程を修了し、 在野の身にて、研鑽の日々を送っております。 (なかなか居眠りばかりで、進んでおりませんが・・・。)

最近の記事

『華厳経』睡魔・雑念 格闘中40

注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム   ColBase (https://colbase.nich.go.jp)   "普賢菩薩像",奈良国立博物館 所蔵 の一部を切り取って利用 「離世間品」 ― 菩薩のあれこれ ― 後編  (釈尊の歩まれた道) 普慧菩薩の問いについて、普賢菩薩の答えが更に続くのであるが、菩薩の、身・口・意(心)などについて、細かいことが述べられている他、注意すべきことが述べられている。 「離世間品」の前半では、菩薩が為すべきことが挙げ

    • 『華厳経』睡魔・雑念 格闘中39

      注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム   ColBase (https://colbase.nich.go.jp)   "普賢菩薩像",奈良国立博物館 所蔵 の一部を切り取って利用 「離世間品」 ― 菩薩のあれこれ ― 前編 この、「離世間品」では、普慧菩薩が普賢菩薩に対して、菩薩に関しての様々な問いを投げかけ、それに対して普賢菩薩が答えるという場面になっており、言わば、『華厳経』における”菩薩”とはどのようなものなのかということが全て示されていると言っても過

      • 『華厳経』睡魔・雑念 格闘中38

        「宝王如来性起品」 ― 気付きということ ― この、「宝王如来性起品」は、『華厳経』の中でも、かなり異質な印象を持っている。それは、普賢菩薩の以下のような発言に拠るのである。 まるで、映画の中で、その登場人物たちが、映画を見ているような構成になっており、『華厳経』の世界の中で、別のお経が説かれているような構成になっているのである。 木村清孝先生は、ご著書の『華厳経入門』で、そのことに触れ、以下のように述べていらっしゃる。 もともとが独立したお経として有ったものが、『華

        • 『華厳経』睡魔・雑念 格闘中37

          注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム   ColBase (https://colbase.nich.go.jp)    "華厳五十五所絵巻断簡(普賢菩薩)",東京国立博物館 所蔵を一部加工 「普賢菩薩行品」― 菩薩の行願と、怒りの気持ちの静め方 ― この品では、普賢菩薩が自身の行(普賢の行)について説法しているのであるが、一巡目では、”普賢の十大願”として知られている記載を見つけることが出来なかった。 二巡目の今回も、雑念と戦いながら読み進めたが、一巡目同

        『華厳経』睡魔・雑念 格闘中40

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中36

          「如来相海品」・「仏小相光明功徳品」 ― 光・雲 ― 「如来相海品」では、普賢菩薩が、諸の菩薩へ如来の発する”光明”や”光雲”の様々について説き、「仏小相光明功徳品」では、釈尊が宝手菩薩に、 その光明がおよぼす様子について説いている。 どちらの品も、”光明”や、”光雲”について、説いているという点で、共通しているほか、「如来相海品」での光明について、その働きが「仏小相光明功徳品」で具体的に説明されている点で、連続した品(あるいは敢えて、連続させて編集)であるように思える。

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中36

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中35

          注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム       (https://colbase.nich.go.jp/)     の“如来坐像”(所蔵:東京国立博物館)の一部を切り取って利用 「仏不思議法品」 ― 釈尊のお姿 ― この「仏不思議法品」は、これまでの品とは違って、変わった始まり方をしている。 多くの菩薩が、諸仏に関して様々に心に不思議に思っていることを、世尊がそのことを感じ取って、青蓮華蔵菩薩に力を与え、如来に至るまでの修行を体験させ、その体験に基づいて感

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中35

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中34

          注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム       (https://colbase.nich.go.jp/)     の“普賢菩薩像”(所蔵:東京国立博物館)の一部を切り取って利用 「寿命品」・「菩薩住所品」 追補 ― 普賢菩薩について ― 前回の記事にて、宿題として、普賢菩薩が住まわれている場所が示されていない点が気になったと述べたのだが、この記事では、その点を含め、普賢菩薩について若干追加して調べたので、それをまとめてみたい。 「寿命品」に於いては、普賢

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中34

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中33

          「心王菩薩問阿僧祇品」・「寿命品」・「菩薩住所品」 ここからの3品では、心王菩薩が登場し、「心王菩薩問阿僧祇品」では、心王菩薩の問いに、釈尊が答える形で、「寿命品」・「菩薩住所品」においては、心王菩薩自身が説明することになる。 この3品の内容は、それぞれ、数・時間・空間(場所)を単に示すものなのだが、正直、1巡目では、この3品が『華厳経』に含まれている意味が全く分からなかった。2巡目の今回は、ここまで丁寧に読み進めたせいか、その規模の途轍もなさを示すことで、如来の徳の大き

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中33

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中32

          「十明品」・「十忍品」 十地品が終わるやいなや、唐突に普賢菩薩が登場し、この「十明品」と、「十忍品」での説法となる。とは言え、「十地品」の最後の方は、”知ること”、”智慧”がテーマとなっているので、「十明品」のテーマとなる”智明”とは繋がりがあり、話の流れとしては、そこまで違和感はないのであるが、それにしても、いきなりの普賢菩薩の登場の唐突さは否めない。 さて、「十明品」では、菩薩が身につける、十の智明について説かれるのであるが、その十種をまとめてみると以下のようになる。

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中32

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中31

          「十地品」― 善慧地・法雲地 ― 仏の光・十地のまとめ  菩薩の段階(ステージ)は、さらに進み、第九地の善慧地、最終となる第十地の法雲地へと進んでいくのであるが、この2つの地では、共通して、”智慧”・”知ること”が強調されている。 特に、第九地の善慧地では、以下の四つの無礙智ということが挙げられているのであるが、残念なことに、第九地のこの無礙に関して、言及している先生は、当方が読んだ少ない資料の中には見当たらなかった。  1)法無礙 ・・・諸法の体性〔実体のことか?〕が

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中31

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中30

          「十地品」 ― 遠行地・不動地(2) ―    <十波羅蜜・大乗としての修行について> 先に、第七番目の遠行地(おんぎょうじ)、第八番目の不動地において”無生法忍”=空について、書いたのだが、この遠行地、不動地では、もう一つ1巡目で気になった点があった。それは、菩薩は遥かな高みに来ているはずなのだが、なぜか、急に十波羅蜜や、助道法(補助的な修行)について、説法されている点である。 時代ということもあり、また、漢訳に忠実である衞藤即應先生の和訳そのままでは、現代では少し馴

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中30

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中29

          「十地品」 ― 遠行地・不動地(1)―    <無生法忍(空)について> その名前が示すように、第七番目の遠行地(おんぎょうじ)、第八番目の不動地では、菩薩は遥かな高みに来ている。それを示すように、遠行地に在れば「他化自在天王(欲界の天の最高位)となる」とされ、不動地に在れば「大梵天(欲界をはなれた、色界の天)となる」と説かれ、すでに人とは呼べない段階に来ている。 それを裏付けるように、この2つの地(段階/ステージ)では共通して、”無生法忍”ということが挙げられている。

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中29

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中28

          「十地品」― 現前地:三界唯心か、空か、それとも ― 1巡目にこの『華厳経』読んだときは、無手勝流であったため、まったく気が付かなかったが、この第六地である現前地の”三界唯心:三界虚妄但是(一)心作”の部分を巡って、色々な先生が、それぞれの視点で、『華厳経』に於いての重要事項と考えていらっしゃるようである。 三界とは、この世界を、欲界(欲望に縛られた処)・色界(欲望は脱しているものの、物質の縛りが残っている処)・無色界(物質の縛りも脱した精神的な処)の3つに分けたものであ

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中28

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中27

          「十地品」― 燄慧地・難勝地  ―  三十七助道品について 解脱月菩薩の請いを聞き、さらに金剛蔵菩薩が、説法を続けるのであるが、続く第四番目の燄慧地と、第五番目の難勝地には、共通のテーマが流れているように思える。 それは、阿毘達磨で言うところの、三十七助道品である。 三十七助道品について、木村泰賢先生は、次のように解説されている。 残念ながら、木村先生の全集にて、三十七助道品の内容の説明がされていない為、木村清孝先生が、校正注記をされた、『十住経』〔十住品の単独のお経

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中27

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中26

          「十地品」― 離垢地・明地 ― 第二地である”離垢地”、第三地である”明地”は共通した特徴をもって説明されている。それは、どちらもその地(段階・レベル)に向かうに当たって、いずれも前段階として”心”が重要視されている点である。 第二地である”離垢地”に達するためには、以下の十種の直心を生じる必要があると、述べられている。 1)柔軟心  2)調和心  3)堪受心  4)不放逸心 5)寂滅心 6)直心(注)7)不雑心  8)無貪吝心 9)勝心   10)大心     ※注:

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中26

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中25

          「十地品」― 歓喜地 釈尊の背中を追って ―   この「十地品」の、最初の場面で、とても印象深いことが述べられている。 金剛蔵菩薩によって説法が行われるのだが、言い始めてすぐに、黙ってしまわれるのである。そのため、他の菩薩を代表して、解脱月(げだつげつ)菩薩が是非、その続きをお話してほしいと、頼むのであるが、金剛蔵菩薩は、以下のように躊躇するのである。 三度、解脱月菩薩が、説法の続きを行って欲しいと請い願い、また他の菩薩も、請い願い、更に、釈迦牟尼仏の白毫より光が放たれ

          『華厳経』睡魔・雑念 格闘中25