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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中36

「如来相海品」・「仏小相光明功徳品」 ― 光・雲 ―

「如来相海品」では、普賢菩薩が、諸の菩薩へ如来の発する”光明”や”光雲”の様々について説き、「仏小相光明功徳品」では、釈尊が宝手菩薩に、
その光明がおよぼす様子について説いている。

どちらの品も、”光明”や、”光雲”について、説いているという点で、共通しているほか、「如来相海品」での光明について、その働きが「仏小相光明功徳品」で具体的に説明されている点で、連続した品(あるいは敢えて、連続させて編集)であるように思える。

批判を覚悟で、告白すると、『華厳経』を読み始め、文章のリズムにようやく慣れた頃、睡魔と雑念に一番襲われたのが、この「如来相海品」であった。とにかく、様々な光雲の名称が次から次へと説明されており、気が付くと、ウトウトしてしまって、何度も何度も同じ個所を戻っては読み進め、また同じ個所に戻ったりと、行ったり来たりしていた具合であった。(2巡目の今回も、同様に睡魔に襲われてしまって、なかなか進まなかった・・・)

「如来相海品」では、如来の以下の体の場所から発せられる様々な光明・光雲について、その名前が個別に示されている。
 
 (頭の)頂上・眉間・清浄眼・勝妙鼻・広長舌・歯ぐき・大牙・歯間
  右肩・左肩・胸・右脇・腹・手掌・右腿・左腿・毛・足の下
 
〔左脇に関しては、この品では抜けているが、「十地品」の第十法雲地では、"左右の脇”とされている。〕

残念ながら、私自身は、如来にお会いしたことがないので、光明や、光雲がどのようなものであるのか、またどうして発せられる場所により違いがあるのかを知ることができない。

一般的なレベルまで引き下げることを許して頂けるのであれば、例えば、人に会った時に感じる”雰囲気”(私自身は見えないが、オーラとでも言うべきか)というものが、ここで表現されている”光明”や”光雲”に近いのではないだろうか。普通に暮らしていても、なんとなく優しそうな雰囲気をもっている人や、イライラしてそうな人など、その人にまとわっている雰囲気は感じられるものである。ここでいうところの”光明”・”光雲”は、より宗教的・高貴なものであろうが、そのようないわゆる雰囲気に近いのではなかろうか。

では、他の経典では、”光明”・”光雲”がどのように説明されているのかを改めて確認したい。

『南伝大蔵経』の、相応部経典の、諸天相応の「剣品」にまさに”光明”について釈尊が天神〔梵天〕に説法している場面がある。

 「世には四つの光あり。  こゝに第五の光なし。
  昼には太陽輝き     夜には月照らす。
  時に火は日夜に     そここゝに照らす。
  正覚者は最勝の火なり  これ無上の光なり」
  〔旧字体を新字体に改めた。〕

『南伝大蔵経 第十二巻 相応部経典一』,大蔵出版社,1971,p.21

釈尊は、世を照らす光に4つあることを示し、その一つが”正覚者”であることを説いていらっしゃる。そのため、光に、正覚者〔悟りを得た者〕を象徴させていることが判る。

同じ、相応部の「断品」に於いても、釈尊は、以下のようにも説いていらっしゃる。

 「智慧は世間に於ける光炎なり。 〔中略〕母が子を養うが如く
  雨は怠慢者をも精進者をも養う。 雨の精はこの 地上に倚著(いぢゃ
  く)する生物を養う」

  〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕

『南伝大蔵経 第十二巻 相応部経典一』,大蔵出版社,1971,p.64

この2つの説法を鑑みると、光は、正覚者自体あるいは、その悟ったところの智慧が象徴されていると言えよう。

「如来相海品」に続く「仏小相光明功徳品」では、この”光明”の働きが以下のように示されている。

 「菩薩摩訶薩は兜率天に於いて大光明を放つ、名づけて幢王(どうお
 う)と曰(い)い、〔中略〕地獄の衆生を照して、苦痛を滅除し、彼の衆
 生の十種の眼耳鼻舌身意の諸根の行業(ぎょうごう)をして、皆悉く清
 浄ならしむ、彼の諸の衆生は光明を見已(みおわ)りて、皆大いに歓喜
 し、命終(みょうじゅう)して皆兜率天上に生(うま)る。」

  〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,p.443

ここでは、菩薩に於いても、光明が放たれることが示され、更にその大光明によって、衆生が救われ、さらに寿命が尽きた後には、兜率天に生まれることとされている。しかしながら、菩薩なら誰でも行うことが出来るという訳ではなく、「十地品」の最終第十法雲地に、同じような以下の表現がされていることから、最終段階に達している菩薩のみが、光明を放つことが出来るのであろう。

 「菩薩是の地〔第十の法雲地〕に住すれば大智照明(しょうみょう)なる
 ことを得、〔中略〕大自在天王の光明は、能く衆生の心身をして清涼なら
 しめ〔中略〕及ぶこと能わざる所なるが如し。菩薩摩訶薩も亦是(かく)
 の如し。
法雲地に住(じゅう)すれば、智慧の光明は、〔中略〕能く無量
 の衆生をして、一切智道に住せしむ。」

    〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,p.312

釈尊を巡る伝記では、梵天に促され、説法を行うことを決意するのである
が、最初に説法を行おうとした、かつての二人の師が亡くなっていること
を知り、5人のかつての仲間に、釈尊が悟った”法”を伝えようと旅に出たと される。

その5人のかつての仲間は、最初釈尊に対し、〔苦行を断念したことを聞いていた為〕敢えて敬意を表するのは止めようとしていたが、実際、釈尊の姿を目の当たりにして、上座を譲ったとされる。

この場面から察するに、先に挙げたように、醸し出される只ならぬ雰囲気というものに、5人のかつての仲間は思わず、上座を譲り、釈尊から話を聞こうとしたのではなかろうか。

残念ながら、いまだ光明も光雲も見かけたことはないのだが、釈尊の伝記から想像するに、感じたことの無い雰囲気というものをより具体的に表す為、様々な光明や光雲の名を挙げ、如来の持つ宗教的な雰囲気を、より具体的に表現したと言えよう。

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