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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中34

注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム   
   (https://colbase.nich.go.jp/)
    の“普賢菩薩像”(所蔵:東京国立博物館)の一部を切り取って利用

「寿命品」・「菩薩住所品」 追補 ― 普賢菩薩について ―

前回の記事にて、宿題として、普賢菩薩が住まわれている場所が示されていない点が気になったと述べたのだが、この記事では、その点を含め、普賢菩薩について若干追加して調べたので、それをまとめてみたい。

「寿命品」に於いては、普賢菩薩に関して、次のように述べられている。

 「勝蓮華世界の、賢首仏の刹(くに)に於いては、一日一夜と為す。普賢
 菩薩等の、諸の大菩薩は其の中(うち)に充満せり。」

  〔旧字体を新字体に改めた。〕


『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,p.379

残念ながら、図書館等の資料などにもあたってみたが、「菩薩住所品」で説かれている菩薩方が住まわれているとされる場所と、”勝蓮華世界”との関係を示すような資料がまったく、見つからなかった。

幾つかの資料を当たったところ、『華厳経』を離れてしまうが、『法華経』の「普賢菩薩勧発品」に、東方の”浄妙国”という名前の国で普賢菩薩が生まれたことが記されていることが判った。また、鎌田茂雄先生の著書『法華経を読む』(講談社〔講談社学術文庫〕,2013)には、この「普賢菩薩勧発品」の記載により、白象に乗った普賢菩薩像が造られ、中国の峨眉山の万年寺のにある白象もその影響で、六つの牙をもつことが書かれている。

最近修復が終了した、東京国立博物館所蔵の有名な以下の普賢菩薩像もまさにこの。「普賢菩薩勧発品」における造形にて描かれていると言えよう。

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) “普賢菩薩像”,東京国立博物館 所蔵

私自身は、もう十年以上前に、修復前のものを実際に見たのだが、白みがかった普賢菩薩のお姿と、蓮華座、白象のコントラストが印象深かったのを覚えている。

形像について、速水侑(はやみたすく)先生は、ご著書『「菩薩 由来と信仰の歴史』(講談社〔講談社学術文庫〕,2019)の普賢菩薩の項目の部分で、その形像に3通りあると、仰っている。

 1)密教系 胎蔵界曼荼羅など
 2)釈迦三尊像の脇侍として
 3)法華経信仰の礼拝図 (合掌をしているのが特徴)
   
  ※注:前述書、p.145を中心に、当方にてまとめた。

先に挙げた、東京国立博物館所蔵の、"普賢菩薩像"は、速水先生の仰る3番目に分けられるであろう。(合掌をされている点や、白象に乗っている点)

また、速水先生は、天台の、”普賢三昧”(法華三昧)にも、言及され、この三昧を行うことで、行者の前に、白象に乗った普賢菩薩が現れるとのことが述べられている。

東大寺のHPを見ると、四月堂(三昧堂)の由来に、以前は普賢堂・普賢三昧堂と呼ばれていた時代もあり、そのころには法華三昧が行われていたとのことである。

さて、肝心の『華厳経』における、普賢菩薩であるが、速水先生は十願について示されている。この十願については、何品か後に、普賢菩薩が中心となる品があるので、その際に合わせて考察してみたい。

残念ながら、現時点では、普賢菩薩の住まわれている場所は、明確にはならず、お生まれが東方というところまでとなってしまった。幾つかの資料の中には、普賢菩薩のお名前の”普”(あまねく)の文字を理由に、様々な場所に趣くということが述べられていたのであるが、(卑近な言い方ではあるが、いわゆる住所不定としており)少し判然としない部分が残ってしまった。

しかしながら、今回、『華厳経』を離れたことで、普賢菩薩が帯びる印象が、お経により、また、時代によって違う点に、気が付くことが出来た。
文殊菩薩が象徴する”智慧”に対して、”行”という象徴的なイメージが、法華経の三昧など、様々な宗派へと繋がっていった理由なのかも知れない。

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