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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中35

注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム   
   (https://colbase.nich.go.jp/)
    の“如来坐像”(所蔵:東京国立博物館)の一部を切り取って利用

「仏不思議法品」 ― 釈尊のお姿 ―

この「仏不思議法品」は、これまでの品とは違って、変わった始まり方をしている。

多くの菩薩が、諸仏に関して様々に心に不思議に思っていることを、世尊がそのことを感じ取って、青蓮華蔵菩薩に力を与え、如来に至るまでの修行を体験させ、その体験に基づいて感じたことを、蓮華蔵菩薩に告げるという、二段階を経ているのである。

ここでは、以下の32の項目につき、それぞれ十種の威徳が説かれているのであるが、煩を厭わず、項目だけ挙げてみると、以下のようになる。(似た項目もあるのだが、説かれる十種の威徳は違っている。)

1)法界無量無辺   2)無尽智         3)未曽有失時
4)不思議境界    5)出生住持の智慧     6)無量内法
7)甚深の大法    8)離悪清浄        9)究竟清浄
10)仏事       11)方便智慧        12)常法
13)無量説仏法門   14)衆生の為に仏事を成す  15)堅固士の法
16)無障礙住     17)最勝無上なる荘厳    18)自在の正法
19)等正覚を成ず   20)巧妙方便        21)仏事
22)法王無異     23)住に向かう法      24)法を知る
25)最勝力      26)大力那羅延幢仏所住の法 27)定法
28)果報       29)清浄法         30)一切智住
31)不可思議三昧   32)無礙解脱

 ※ 『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,pp.383-426を基に
   当方にてまとめた。

もちろん、不特定の、諸仏一般としての法の不可思議さや、威徳について説かれてはいるのであるが、ところどころに、釈尊の物語として知られるところの出来事が説かれているのである。

 「一切の諸仏は兜率天より神(じん)を母胎に降(くだ)し、菩薩の行を
 修して、諸の生有るものは、幻の如く、化の如く、電(でん)の如く、夢(む)の如く、虚空の如く、燄(えん)の如しと観じ、一切の諍(じょう)
 を離れて真実の智を修し、欲を離れ清浄にして、大荘厳蔵を具足し」

  〔旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,pp.403-404

 「一切の諸仏は定(さだ)んで兜率天に於いて其の寿命を尽くす。一切の
 諸仏は定んで胎に処する、十月に満ちて生(うま)るることを示現す。
 一切の諸仏は定んで宮館(ぐうかん)を捨て、楽(ねが)いて出家を行
 ず。一切の諸仏は定んで菩提樹下に坐して一切の法を覚(さと)る。〔中
 略〕一切の諸仏は定んで時に随いて教化し正法輪を転ず。」

  〔旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた他、旧字体を新字体に改めた。〕

『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,pp.422

まさに、釈尊の生誕の伝説と、四門出遊から、出家に至る経緯や、菩提樹下での、縁起による、世の中の現象への理解(無常さ)と、その内容を他者に伝えようとしたお姿が描かれていると言えよう。

木村清孝先生も、ご著書『華厳経入門』(KADOKAWA〔角川ソフィア文庫〕,2015)にて、具体的な箇所は、指摘されていないものの、「仏不思議法品」について「全体的には釈尊の生涯と活動の諸側面を理想化した趣きがあります。」(前掲書,p195)と述べられている。

この品で印象的なのは、如来になった後でも、常に衆生に対しての働きかけが描かれている点である。自身の成道で終わりとせず、常に他者に対しての働きかけや、まなざしを忘れていないという点が、まさに『華厳経』が大乗的なお経の一つであると言えよう。

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