『華厳経』睡魔・雑念 格闘中40
注:画像は、国立文化財機構所蔵品統合検索システム
ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
"普賢菩薩像",奈良国立博物館 所蔵 の一部を切り取って利用
「離世間品」 ― 菩薩のあれこれ ― 後編
(釈尊の歩まれた道)
普慧菩薩の問いについて、普賢菩薩の答えが更に続くのであるが、菩薩の、身・口・意(心)などについて、細かいことが述べられている他、注意すべきことが述べられている。
「離世間品」の前半では、菩薩が為すべきことが挙げられていたのだが、後半では、やってはいけない事なども示されている。ここでは、以下に少し、取り上げたい。
― 十種の仏法の道から外れること(退失すること) ―
1) 善知識に於いて驕慢の心を生ずる
2) 生死(しょうじ)の苦を畏(おそ)れる
3) 菩薩の行を厭う
4) 受生(じゅしょう)を厭い、悪(にく)む
5) 三昧(ざんまい)に楽著(ぎょうじゃく)する
6) 諸の善根に於いて、疑惑の心を起こす
7) 正法を誹謗する
8) 菩薩の行を断つ
9) 声聞、縁覚乗を楽(ねが)い求む
10) 瞋恚の心を起こす
※『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,pp.38-39を基にまとめた。
菩薩の行を厭い、ましてや断じる(辞める)のは論外であろうが、以前の記事で書いたように、この「離世間品」でも、瞋恚の心を起こさないように気を付けることが、説かれている。
同じようなことが、更に、”魔”・”魔業”という表現で、説かれており、順番や、挙げられてることなどは、多少違ってはいるものの、併せて読むと、菩薩として、気を付けなければいけないことが判ってくる。
― 十種の魔 ―
1) 五陰に貪著する (五陰魔)
2) 煩悩に心が染められてしまう (煩悩魔)
3) 障礙(しょうげ:悟りの障害)を起こす (業魔)
4) 自ら驕慢する (心魔)
5) 受生を離れる (死魔)
6) 驕慢放逸を起こす (天魔)
7) 悔いる心を起こさない (失善根魔)
8) 三昧に執着する (三昧魔)
9) 善知識に執着心を起こす (善知識魔)
10) 諸の大願を出生しないこと (不知菩提正法魔)
※『国訳大蔵経』,経部第七巻,第一書房,2006,p.76を基にまとめた。
善知識(供に仏法をまなぶ友)や、三昧にすら、こだわってはならないとしており、また、驕慢という心も、自分のやってきたことや、自分の凄さに固執していることからして、細かい点を除けば、全体として、”執着”することを離れることが強調されていると言えよう。
さて、「離世間品」で一番着目したのが、釈尊の伝承を踏まえた上での表現である。
これらの場面は、釈尊にまつわる伝説として知られるところの、兜率天から、この世にいらっしゃったという点や、七歩あゆまれて、一方の手は天、もう一方の手を地を指して、”天上天下唯我独尊”と言われたと伝えられる場面を下敷きにしているのであろう。
このことからしても、菩薩は、大乗に於いてのみの特別な存在ということではなく、釈尊の歩まれたであろう、同じ道を歩む、正統な後継としての存在であることが判るのである。
普賢菩薩は、この「離世間品」の偈の初めに、次のように説いている。
まさにここでは、いわゆる、六波羅蜜と、四無量心の実践が説かれ、そうしてその修行は、他者が常に意識されているということなのである。釈尊の道を歩みながら、釈尊が、梵天勧請に於いて、他者に仏法を伝えようとしたのと同様に、その視点の先には、他者という存在を見据えているという点が、大乗の菩薩であると言えよう。
― 付記 ―
以前の記事で、東京国立博物館所蔵の普賢菩薩像を取り上げたのだが、
「離世間品」では、奈良国立博物館所蔵の、普賢菩薩のイメージを利用した。記事では二分割(普賢菩薩と白象)してしまったので、全体のイメージを最後に添付したい。
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