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『華厳経』睡魔・雑念 格闘中33

「心王菩薩問阿僧祇品」・「寿命品」・「菩薩住所品」

ここからの3品では、心王菩薩が登場し、「心王菩薩問阿僧祇品」では、心王菩薩の問いに、釈尊が答える形で、「寿命品」・「菩薩住所品」においては、心王菩薩自身が説明することになる。

この3品の内容は、それぞれ、数・時間・空間(場所)を単に示すものなのだが、正直、1巡目では、この3品が『華厳経』に含まれている意味が全く分からなかった。2巡目の今回は、ここまで丁寧に読み進めたせいか、その規模の途轍もなさを示すことで、如来の徳の大きさや、修行の永遠さを示す為ではないかと、思い至った。

定方晟(さだかたあきら)先生は、ご著書の『須弥山と極楽 仏教の宇宙観』(講談社,〔講談社現代新書〕,2009 )の中で、劫(ごう:時間の単位)の解説に於いて、「このような大きな時間が何のために論ぜられるかというと、仏の修行の長い長い時間を表すためである。」としており、数や空間に関しても同じような目的だったであろうことが想像できる。

「心王菩薩問阿僧祇品」で説かれている数の単位として最大のものが”不可説”となっているのであるが、その単位を利用して、以下のように表現されている。

 「菩薩の身業不可説、口業の清浄(しょうじょう)なること不可説、意合
 業の清浄なること不可説、清浄の解脱も不可説なり」

『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,pp.369

 「智慧を修行することも不可説、善(よ)く智慧を学ぶことも不可説、彼
 の智慧の身も不可説、智慧を住持(じゅうじ)することも不可説なり。」
  
  〔旧字体を新字体に改めた。〕  

『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,pp.371

「寿命品」では、娑婆の世界の一劫が阿弥陀仏の世界の一日に当たり、同様に阿弥陀仏の世界の一劫が・・・と、延々と世界の違いによる一日の長さの違いが説明され、最後の勝蓮華世界の、賢首仏(げんじゅぶつ)の一日が、われわれの娑婆との比較で長大で有ることが示されている。

「菩薩住所品」では、方角(八方)に応じて、どの菩薩が住まわれているかが示されており、以下のように説明されている。
(方角、名称、菩薩の順に列記)

 ・ 東    仙人起山        金剛勝菩薩
 ・ 南    勝楼閣山        法慧菩薩
 ・ 西    金剛燄山        無畏師子行菩薩
 ・ 北    香聚山         香象菩薩
 ・ 東北   清涼山         文殊師利菩薩
 ・ 東南   枝堅固(しけんご)   天冠(てんがん)菩薩
 ・ 西南   樹提(じゅだい)光明山 賢首菩薩
 ・ 西北   香風山         香光明菩薩

  ※ 『国訳大蔵経』,経部第六巻,第一書房,1993,pp.380-381を
    当方にてまとめた。

引き続き、大海、海中、各国における、地名と菩薩のお名前が営々と続くのである。

八方の菩薩の説明には、それぞれの菩薩にどのくらいの眷属(付き従う者)が付いていらっしゃるのかの数が表されているのだが、300~10,000と、桁が大きく違っているのだが、眷属の数が違うのはどうしてなのだろうか。残念ながら、2巡目にしても、このことは、明確にはならなかった。

また、文殊菩薩が、ここに示されているにも関わらず、『華厳経』で多く登場する、普賢菩薩は、ここには記されていないのだが、それはなぜであろうか。1巡目では、まったく気にならなかったが、2巡目にして、気になってしまった。

この話は、別の記事にて取り上げたいと思う。

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