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ショートショート『きみを前にすると』
挨拶なんてしたことはなかった。
そもそも、顔も合わせられなかった。
暑い日も寒い日も。
雨の日も風の日も。
君のことは知りたかったけど、聞けなかった。
隣を歩くにはあまりにも遠かった。
ただ見ることしかできなかった。
「電車が発車します。黄色い線からお下がりください」
下がるまでもない。
君が振り返れば、僕は人の合間を縫って、前かがみで、足早に逃げるから。
手紙を書こうと
ショートショート〜『蚊』〜
目の前を飛んでいる蚊を食ってやった。
寝間着のまま、裸足のまま、何なら目を瞑っていたかもしれない。
僕はベッドの上で寝転びながら、流れにまかせて飛ぶ蚊をふわりと口に入れて、しっかりと咀嚼した。
かつては、手で捕まえようとしたこともあった。
夜中に響くパーカッションに、さすがの隣人も抗議の意があったらしく、先週の土曜日の朝にポストの中に手紙が入っていた。
「リズムとしては面白いで