記事一覧
ギャラリーを辞めてこの先どうする? 迷走期
通っていた通信制大学の卒業時期が明確になってきた頃、ギャラリーを辞めました。ですが、次に進みたい道が明確だったわけではありませんでした。
目の前のことしか考えていなかった
この頃、30歳手前。20代後半は通信制の美術大学に通い、仕事では新規事業の立ち上げもしていましたから、大変に充実をしていました。
そこに突然、ギャラリーから契約終了の相談があったのです。業績が低迷しているため、私が大学を卒
「あたらしく、うまれる −子を育てるアーティストの日々の創造−」
noteをご覧のみなさま、こんにちは。
すっかり投稿に間が空いてしまいました。年末年始は内観する時期。自分の内面と向き合っていたこともあり、発信の頻度が下がりがちです。良い時間を過ごさせていただきました。
さて、3月に開催する展覧会について少し紹介をさせてください。
テーマは子育てとアーティスト次回、ayatsumugiは初のグループ展を開催します。
テーマは「子育てとアーティスト」。
なぜ
アートの世界で生きるために、通信制大学に入学した
Bunkamura Galleryに勤めて、アート業界で生きていきたいと思うようになりました。人に魅力を感じたからです。
私が20代の頃(2000年代のはじめごろです)は、今よりもっと人生に「周囲からの期待」というレールが、明確に存在していました。友人たちも期待に応えて、存分に実力を発揮し、期待のレールに乗っかっていました。けれど、彼らにはなんだかどうも人間味が欠けているように、私には思えていた
Bunkamura Galleryでアートが売買されることの不思議さを考えた
私自身のキャリアの紹介も兼ねて、なぜいまこのような「固有の場所をもたない」ギャラリーとして活動を始めるに至ったかをお伝えしていきます。
前回のパリのくだりは私のキャリアの端緒にすぎないので、ものすごく長くなってしまうかもしれませんが、どうぞお付き合いください。
アート業界への純粋な探究心から1ヶ月のパリ滞在から帰国し、目についたBunkamura Galleryでの求人に応募し、すんなりと入社