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アートプロジェクトの発信拠点との出会い

ギャラリーを辞めて次のキャリアを考えなければならなくなった時、自分がいかに環境に甘えて、自らの将来を真剣に考えることなく、好きな学びだけに没頭としていたのかに気がつかされました。

月給12万円で、この先の将来をどうしろと?

気持ちを切り替えて、あれこれ転職活動をしていた頃、S財団が、指定管理している地方美術館の広報職を募集していました。月給は12万円。それでもアートの仕事をしたい私は応募をして面接に出かけました。

アートの仕事のキャリアがあり、広報も全く未経験ではなく、かつ通信とはいえ美大卒の私は受けがよかったものです。面接でも3名の面接官が「決まりでよいかも」と、安堵した表情をしていました。

最後に、面接官が私に聞きました。「なにか聞きたいことはありますか?」と。

私は言いました。

「3年の期限付き雇用ですが、その後についてはどのようにお考えですか? 雇用する立場としてビジョンはお持ちでしょうか?」

質問した面接官は、3人の面接官の中で最もランクが高い様子の中年女性でした。私の返答を聞くと、みるみる顔色が代わり、青くなったり、赤くなったり。何を言われたかは覚えていませんが、とにかく怒りをあらわにして何か怒鳴りはじめました。すると、左右の男性面接官が「まあまあ」となだめ、私の面接はそこで終了。

不採用でした。

今から15年ほど前のことですが、公立美術館で大手財団の指定管理といえども、条件はすこぶる悪かったものです。世間はアートを「趣味」「好きなこと」として捉え、感覚的に、立派な大人のすることではないと思われていたのでしょう。そもそも、私たちが暮らしているのは、比較的文化予算の少ない国なのですから、担い手も我慢しなければならない状況が常にあります。それでも、憧れのアートを仕事をしたいと、優秀な人材が甘んじて安月給で仕事をするので、改善しない。悪いサイクルが回っていました。

アーツ千代田3331の立ち上げスタッフになる

その後、働き始めたのがアーツ千代田3331。ウェブ上に求人が出ていたのをたまたま見つけて応募しました。ここも条件はけして良くはなく、それでも「やります」といった私が採用されたようでした。広報担当になりました。

3331はアートをより自由度高く発信していける場に思えました。誰にとっても「自分たちの場所」だと思えるアートのプラットフォームの必要性を、私自身も強く感じ、理念に共感したからこそ、ここで働いてみようと思えたのです。

時は2009年12月。3331は翌年の3月にプレオープンが決まっていたものの、まだ施設名称も決まっていませんでした。これまでも展覧会のプレスリリースを作成したり、DMを作成して送付したりと、ギャラリー業務の一環として広報を担うことはありましたが、中学校だった施設がまるまる1棟、現代アートの発信拠点として生まれ変わるに際しての広報活動は、やるべきことも、考えなくてはいけないことも全く違いました。

また、以前に勤めていた銀座の画廊での業務は、量より質が大切にされていました。対外的なコミニケーションに非常に気を使うため、メールも封書での送付物も、対外的なコミニケーションをとるときには、必ず上長のチェックを受けていました。

それが、3331では現場主義。丸投げで仕事を任され、できなければ文句を言われるような状態。広報をしなければなので、事業の概要を理解しようと「なにか資料は?」といえば、出てきたのはA3裏表の資料のみでした。途方にくれました。まもなく行われる予定の展覧会やイベント情報は、全て誰かの頭の中にあったのです。

同じアート業界の仕事とはいえ、環境も仕事の内容も、これまでとはガラリと変わってしまったのです。もはやパニック。働き始めた時はそんな感じでした。



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