見出し画像

『HsP’eers(エイチエスピアーズ)』。繊細な人、「HSP」の男性が立ち上げた学生団体。

こんにちは、翼祈(たすき)です。
皆さんは、「HSP(エイチ・エス・ピー)」と言われている「繊細な人」って知っていますか?

「HSP」とは英語の「Highly Sensitive Person」の頭文字を取った略語のことを指して、直訳すると「とても過敏な人」を表します。アメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が提唱した概念で、世界には5人に1人の割合で「HSP」が存在すると推定されています。「HSP」は性格上の課題や病気ではなく、生まれ持った気質にあります。

後天的な「内気」とは違って、「HSP」は先天的に脳の神経システムに違いがあると想定されています。刺激に反応しやすく、同じ様なストレスを浴びた時は、コルチゾールなどのストレスホルモンがもっと沢山分泌されます。

「HSP」は音や光、気温などの外的刺激だけでなく、その場の雰囲気や人の気持ち、ご自身のひらめきや体調にも常に敏感な状態です。専門家は、「周りの人が気付かないことまで見つけることで、知らない間に、蓄積されたトラウマや生きづらさを抱えるケースもあります」と、説明します。

HSP」のために、不登校になる子どもがいます。「HSP」当事者の一人、中津井楓真さんは同様の悩みを抱える子ども達をサポートしようと、学生団体『HsP’eers(エイチエスピアーズ)』を発足し、精力的な活動を行なってきました。

2024年春、高校を卒業し、新天地・アメリカへ旅立つ中津井さんがいま「HSP」で悩む人に届けたい想い、思い描く理想の社会の構築とは何でしょうか?

今回は、「HSP」である男性の将来の夢などについて発信します。

「HSP」の男性が伝えたい想いとは?

動画・引用:HSPさんの教育をより良いものにするために 100BANCH

日本では特に「繊細さん」の名前で数年前から認知されました。[『繊細さん』の本]の作者で、「HSP」専門カウンセラーの武田友紀さんは、「HSP」に関して「感じるパワーが強い人」だと説明しました。

それでも、「繊細な人は、その感性をとことん大事にしていくことでもっと気軽に生きていけます。『HSP』があるからといって、必ずしも生きづらさを抱えるというわけではありません」とも説明しました。

中津井さんも繊細な気質で生きづらさを常に感じながら生きていました。ジーというスピーカーの低音がやけに気がかりで、学校でテスト中に鉛筆が机を叩く音がうるさく聞こえてきたりしました。香料が強いスキンケア商品や石けんを販売する店に行くと「吐き気をもよおす時もありました」。

繊細な気質は子ども時代からでした。中津井さんの母は、「私の姿が見えなくなるとすぐ泣き出す息子でした」と振り返ります。「知らない場所に出かける時は、楽しみより不安が勝り、『もしそこで火事が発生したらどうするの?』『何が起こるところ?』と毎回質問攻めでした」。

母が助言したつもりで「気にせず気楽に考えればいいのに」と発すると、口論になりました。「お母さんの言う通りにやっているのに!と言われて…。私の育て方が悪かったのかもと戸惑いました」と当時の心境を吐露しました。

小学5年生の頃、中津井さんは急に不登校になりました。理由は自分でも分かりませんでした。「とにかく学校に行く気力が湧きませんでした。友達と一緒に遊んだり勉強したりしたいという想いと、人と関わりたくないという感情が混在していました」と当時の心境を語ります。

父が海外勤務だったことで、5~10歳をアメリカで生活してその後帰国しました。埼玉県内にある小学校に通学し出して1ヵ月ほど経過した頃でした。2週間学校に行かず、家で天井をただただ見つめるだけの毎日でした。それからも学校を休みがちになりました。

不登校になった原因は特定できていませんが、「友達からの何気ない一言にショックを受けていたのかもしれません」と中津井さんはそう思っています。友達に不登校が続いたら、またすぐに転校するのだと思われ「いつまでいるの?」と言われました。「もしかしたら、その何気ない言葉に傷付いていたのかも」と、今は考えています。

中津井さんが中学3年生の時、母はたまたまテレビを観ていて「HSP」という生まれ持った気質を初めて理解しました。関連書籍を読むと、「まさに息子の気質そのものだと感じました」。

母は本を介して「繊細な気質は自分自身では変えられません。『気にせずやればいいんだよ』と言われてもそう簡単にはできないんだとやっと分かりました」と説明します。

それまでは、本人の希望通り学校を休んでいいという気持ちもありましたが、「このままずっと不登校だったらどうしよう」と不安もずっと抱いていました。「息子が学校を休みたいと言った時は、もう限界なんだ」と気付いてから、葛藤も迷いもなく「学校、休んでいいよ」と言えました。

母は学校から帰ってきた中津井さんに1枚の紙を手渡しました。それが【アーロン博士のHSPセルフテスト】で、「HSP」か違うのかとの判断基準となる27項目が記載されたチェックシートでした。

・痛みに凄く敏感な性格
・自分の周りの環境の微妙な変化によく気付きやすい
・空想に浸りやすく、豊かな想像力を持ち合わせている
・他人の振る舞いに左右されやすい など27項目

中津井さんは23項目に該当しました。14項目以上該当すれば、「HSP」である可能性が極めて高いとします。

「『HSPという、無敵な言い分ができました」。中津井さんは自分が「HSP」だと理解し、「突き抜けた解放感を持ちました」と述べました。「HSP」を取り上げた英語の論文や本を読み漁り、さらなる理解を深めていきました。

ですが、状況はすぐには好転しません。「HSP」だと理解してからも、学校に行かない日はありましたが、自分の気質を知り、向き合ったことで「少しずつ光が見えて差し込んだ気がしました」。そして「私と同様に悩む子ども達のために何か行動を起こしたい」と思い始めました。

中学3年生の時、「HSP」だと理解した中津井さんは、高校2年生で同じ気質を持つ子ども達をサポートするための学生団体を発足しました。学生団体名は、『HsP’eers』で、東京をメーンに中高生17人で活動をしています。

今まで中津井さんは埼玉や東京の小学校トータル3校に出張授業をして、「HSP」への理解を深める活動を行い、SNSでも「HSP」の情報発信をしました。

2024年3月30日、東京都渋谷区で『HsP’eers』がイベントを開催しました。オンラインに留まらず、対面でみんなが参加可能なイベントの主催は初のことで、中学生から高齢者までおよそ30人が会場に集合し、オンラインでも70人がイベントに集まりました。

中津井さんはイベントを終えて、「『HSP』とは違う人には、『HSP』の人とどう触れ合えばいいか考える力を磨いて頂きたいです。『HSP』の人には、誰もが特別違うわけではなく、安心していいんだよと見出して頂きたいです」と感じました。

『HsP’eers』を発足した経緯や自身の生い立ちをプレゼンしました。その後、参加した人はおよそ6人の班に分かれて意見を交わし合いました。

イベントに参加した東京都の女性は、「私自身も小学5年生の娘も『HSP』です。みんなとワイワイ盛り上がるより、一人で自分と向き合う時間が多いので、共感できる人が出逢って良い経験でした」と述べ、「若い人の熱気を感じて、私もできることをしたいと思いました」と充実した笑顔を浮かべました。

参考:ふさぎこむ「繊細さん」を変えたテスト 「ママの言う通りにやってるのに!」 親も気付かなかった生きづらさの正体とは 東京新聞(2024年)

中津井さんは2024年春、東京学芸大学付属国際中等教育学校を卒業し、2024年秋からアメリカの大学に進学します。心理学や社会学を勉強する予定で、「小さい時、アメリカでは不登校になりませんでした。どうしてなのか、自分自身で気付きたいから渡米します」と説明します。

アメリカの大学を卒業し帰国した後、「『HSP』の子ども達をサポートする活動を自分の仕事として仕事にする」と、『HsP’eers』をNPO法人にするため、現在申請手続きを進めています。「人として『HSP』を理解し、信じ合える関係を誰もが築ける社会を構築したいです。『HsP’eers』での活動を今後のライフワークとしていきたいです」と夢を熱く語りました。

こう見えて、

結構繊細なんです。私は人のことをよく見えているのか、人が誰かの話を聞いていて、その人がその話を良くないと思っていた時の、その人の表情や目線の高さ、ちょっとした仕草などから、「あ、この人、怒っているな」と多々感じることがあります。

私は発達障害の特性から、突然突拍子もない話をしてしまうことがありますが、言う前に誰かの話を聞いている時にも、何を言おうか考えながら聞いているので、自分の意見は頭の中で固めたものを話す時もあります。

私はこれまで常に生きづらさを感じて生きてきました。周りの人から、「あなたって本当に何にもできないのね」と言われ続けて、元々高くなかった自己肯定感が下がりに下がり、人が言うことのオウム返しというか、「はい、そうですよね。その通りです」と返して、それで落ち込むことが多かったです。

今の仕事はWEBライターですが、記事を書いて、発信することで、「誰かにこの記事が届きます様に」と思って日々書いていますし、記事が読まれたら、「嬉しいな」って思って、今の仕事になってから、ちょっとずつ自信というか、自己肯定感が上がって来た様に感じます。

数ヵ月前にSNSで書かれていた、「共感疲労」もあると思います。でもこの仕事は誰かに寄り添って、書くことがお仕事。

この記事を書いて繊細だとしても、少しずつ自分自身を受け入れて、生きやすくしたいなと思いました。

参考サイト

https://www.instagram.com/official_hspeers?igsh=Mnd3b254MWFyMTU2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?