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日記

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記事一覧

来夏に食べる氷菓のこと

来夏に食べる氷菓のこと

 今年の夏、ヘビロテしたのがhàlの『all kinds of crayon』だった。このEPでもっとも好きな曲は「望遠鏡の向こう側で」だ。音楽が気分を決定することはよくあるが、このEPは蒸し暑い夏を穏やかでご機嫌にしてくれる。

 ところで、今夏はたしかに暑かったが、以前経験した暑かった夏の京都とさほど変わらないような気がする。しかしどうやらニュースで見聞きする限りでは、京都以外の土地では経験し

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小説家になろうの「第9回ネット小説大賞」一次通過してた

 ずいぶん前に書いた小説『さよならを云って』が第9回ネット小説大賞の一次選考に通ったらしい。

 ガガガに送って二次で落ちたこともあったり、カクヨムのコンテストとかに応募して箸にも棒にもかからなかったりもしたやつで、もう擦り切れかけの作品なんだけど、よかったっちゃよかった。

 なろうのインプレッションは、2021年8月13日現在以下の画像の感じで約1500pvくらいしかないんだけど、それでも一次

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『アンリアルライフ』クリアしたのでメモ

『アンリアルライフ』をクリアした。

1.
 ドット絵(ピクセルアート)は、ハードウェアの発色数や、解像度、容量などの制約があったおかげで生まれた。
 この制約は短歌や俳句などの定型詩に似ている。
 ドット絵の風景画では、同じような景色(たとえばビル群)が絶えず生みだされているけど、そのどれもが不思議と魅力をもっている。
 ノスタルジーという言葉はまだドット絵を捉えきれていないような気がする。たぶ

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2020.5.14(尾花仙朔にくらった)

 ツイッターに疲れてしまって主戦場をnoteにしようかといい感じのひとらをフォローしたり、頭がおかしくなって現代詩文庫などを60冊ほど馬鹿買いしてしまったのをときおりぱらぱらめくっている。そのうちに目がとまったのが尾花仙朔だった。やばいでこりゃ。
 とくに『春靈』はくらった。個人的な死とその虚しさと、歴史的にくり返されてきた(記録的な)死の虚しさが重ね合わされ、最終的に溶け合い、詩的・神的な地点に

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鈴と鐘のはなし

 僕は猫を飼ったことがないけど、鈴が居場所を教えたりするものであると知っている。
 僕の街に鐘が鳴ることはないけど、鐘が時刻などを告げるものであると知っている。
 なにかを教えたり告げたりすることに言葉は必要なく、金属が可愛らしく鳴るだけで僕はそれをわかるのだ。
 誰かが死ぬ。鐘が鳴る。僕はそれが弔いだとわかる。
 恋人に鈴をつける。縛りつけておきたい気持ちの表示だ。
 これは結構不思議なことで、

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洗いたての枕カバー・外に出なくても暑い・夜の塩漬け

 暑い。日中は30度を越した。vtuberの配信を裏で流しながらか、気温のせいかわからないけど仕事のやる気がない。ウイルスのおかげでテレワークに移行できたひとは多いだろうけど、僕はそもそも在宅の仕事をしている。家で仕事なんてできぬぇというひとが多いのがおもしろかった。慣れだよ。
 起きたとき自分でも驚くほどの量の涎を繰っていたので洗っておいた枕カバーに交換した。いまからその枕で眠ることになる。窓を

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SENTIMENTALISM

 萩原朔太郎の「SENTIMENTALISM」を読んでくれ。
 朔太郎はここで神秘主義的なことを書いている。

 神とは詩である。多くの場合、感傷には理性がともなう。哲学者はその思想において、ときに詩のようなものを書くが、形骸ばかりで死んでいる。ここには生命も感動もない。理性が理性として在る場合、それは哲学であって、詩ではない。詩は感傷の涅槃においてのみ生まれる。そこには観念も、思想も、概念も、象

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黙っておく

窓硝子の曇りに言いたいことを書きつけて、隣にいるあなたの肩を寄せながら「これを読んでくれ」と言うとして、声を使って言うこととの違い、あるだろうか。勇気の問題だ。たとえばこうやって読まれもしない言葉を書き連ねるのはほとんど勇気のいらないことだ。遠いところから遠いところへ書くことは負荷がすくない。宛先のない詩も負荷がないはずだ。けど詩人は苦しむ。それはいちばん近い自分へ宛てたからだろうし、また、世界そ

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カクヨムのあまりの読まれなさ

 カクヨムでコンテストがやっていて、それに応募している。
『さよならを云って』という作品だ。
 引きこもりの小学校高学年くらいの少女、ベルティーユのために、ひと回り年上の「僕」がベルが登場する小説を書き、読み聞かせる、という話である。
 枠としては『くまのプーさん』を使っている。『プーさん』は、クリストファー・ロビンに、父親が、クリストファー・ロビンと彼の持つテディベアであるWinnie-the-

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KMNZがつくるREALITY――KMNZ 1st Album『KMNVERSE』

 笑い声はノイズだ。
 電車に乗り込んだ僕はイヤホンを耳にはめて、誰かと誰かの話し声をシャットアウトした。Spotifyのアイコンをタップして『KMNVERSE』を流した。一曲目「OPENING」。LITAの声が左chから流れてくる。こそばゆい。続いてLIZの声が右chから。そしてこの曲は、スタッフらしき男と、LITAの笑い声で終わる。
 どうして、この笑い声は不快ではないのだろう?
 見知らぬ誰

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「リスナーさん」について(ガルラジを聞いて考えたこと)

 SNSでかんたんにつながれてしまう時代において、ガルラジはそのつながりかたやつながりの質においてかなり飛び抜けているように感じるのはなぜなのだろう。たとえば僕たちはアニメを鑑賞する。ツイッターで感想をつぶやく。フォロワーの感想も読む。でも、そのフォロワーたちへの仲間意識というか、おれたちはこのアニメを観ているんだぞ! みたいな気持ちを共有している感じはない。ガルラジにはそれがめちゃくちゃある。と

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2019-08-21-14:24

 集中力があっちにいったりこっちにいったりする。先月からとりかかってる仕事が思った以上の金銭を生みだすことを知って今月はその仕事を中心にして生活をしているけど『紙の民』をながら読みするために書見台を買ったらこれがいい感じで僕のような集中の対象が揺らいでしまうタイプの人間はなにかあればTwitterを覗いてしまうから机にはかならず書見台をおいておもしろい本を立て掛けておくほうがよい。僕のような人間が

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セカイ系を終わらせた『天気の子』についての覚書

『天気の子』はひじょうにわかりやすいテーマを伝えてきた。
奇跡には代償が必要である。
奇跡はひとを不幸にする。
世界に奇跡など必要ない。
世界は勝手に回ってるので、どうなろうが知ったこっちゃない。
狂ってるも狂ってないもない。
だから目の前のひとを精一杯愛すのだ。

もしこれが奇跡を賛歌する作品だったなら、帆高が陽菜を地上に連れ戻しても天気はそのまま回復したままだった、というふうにするだろう。

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2019-07-19-0:22

 これは誰かに読まれるために書いていない。
 こういったことがあったとき、なにかを言うことは非常に困難になって、賢ければ賢いひとほど、言葉にならない、と言ってしまうし、自分もそうやろうと思っていた。それじゃいけないというわけではないだろうし、たぶん最善の方法でもあるはずだ。
 とはいえ、わたしたちは、このような野蛮な行為にたいして、ただ耐える、という方法しか取れないのであろうか。海外ではクラウドフ

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