2020.5.14(尾花仙朔にくらった)

 ツイッターに疲れてしまって主戦場をnoteにしようかといい感じのひとらをフォローしたり、頭がおかしくなって現代詩文庫などを60冊ほど馬鹿買いしてしまったのをときおりぱらぱらめくっている。そのうちに目がとまったのが尾花仙朔だった。やばいでこりゃ。
 とくに『春靈』はくらった。個人的な死とその虚しさと、歴史的にくり返されてきた(記録的な)死の虚しさが重ね合わされ、最終的に溶け合い、詩的・神的な地点に置かれ、人間を睥睨している。
 この詩は〈ママン〉と母なるものに終始語りかけている。〈死〉のことを考えると〈母〉のことを考えざるを得ないということでもあるのかもしれない。〈母〉は〈死〉を産むものであるから。またこうでもある。〈母〉のことを考えると〈死〉のことを考えざるを得なくなる。
 このようなことが仄暗い日本的な語彙で、夢でみるような物語とイメージのあいだの詩として書いてある。いい詩だ。

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久慈くじら
小魔術