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日常エッセイ

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これまで書いたエッセイを読み直しました。そして、ネガティヴな記事は下書きに戻しました。これらの記事をまとめて、一つの作品にしたい。  "テーマは終活、文体をクラシカルに"
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#家族

台風🌀より先に、おせち料理🍱

台風🌀より先に、おせち料理🍱

 台風よりも先に、おせち料理のパンフレットがやって来た。もっとも台風が来なくても毎年、この時期になるとおせち商戦が始まる。食品製造販売会社に勤めていたので、特段に驚きはしない。大手スーパーへの取引交渉は、五月過ぎから始まる。
 だが、一消費者としてダイレクト・メールやパンフレットが8月に送られて来ると、もうそんな時期かと感じる。こうして、早いお節商戦となったのは、15年くらい前からかな...
 も

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新しい家族を求めて 介護♿️

新しい家族を求めて 介護♿️

 母が福祉系の施設に入所します。約3か月かけて準備しています。今日、荷物を運びました。明日、介護用ベッドが搬入されます。残るは、ベッド・メイキングだけです。

父のこと

 凡そ10年前、父はパーキンソン病を患いました。日曜日の朝、ぱたっと倒れたまま歩けなくなりました。せん妄・嚥下障害・歩行困難がどんどん進みました。

 病院に病気で入院するには、あまり高額ではない。ただ、リネン系の費用は意外に高

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心の環境整備🛠️

心の環境整備🛠️

来年で65回目の誕生日。
いよいよ年金生活だ。
とはいえ、まだまだ働く。

この4年間で多くの断捨離をした。
ただ、断捨離だけでは新生活は楽しくない。
あらためて家族や友達のメンテナンス(環境整備)が必要かと。

互いの成長や成果を認めつつ、
自然なかたちで進める。

また、snsもシンプルに...
ただ年賀状は継続したい。

かわせみ💎

表紙はnoteの先輩からお借りしました。
鳥・カメラが

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身の丈で葬儀覚書

身の丈で葬儀覚書

1、介護の様々 母が福祉系の施設に入所した。約3か月かけて準備した。今日、荷物を運びました。明日、介護用ベッドが搬入されます。残るは、ベッド・メイキングだけです。 令和5年8月

 父のこと

 凡そ10年前、父はパーキンソン病を患いました。日曜日の朝、ぱたっと倒れたまま歩けなくなりました。せん妄・嚥下障害・歩行困難がどんどん進みました。病院に病気で入院するには、あまり高額ではない。ただ、リネン系

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憧れの男性像に思う😆

憧れの男性像に思う😆

ボクは、ずっと奥田瑛二さんに憧れています。

 まずは顔です。若い頃は、インテリ風で清潔感が良かった。今は、ニヒルな魅力を感じる。また、一人の男が継時変化して行く道程もいいと思う。
 よく、人は容姿ではなく性格だと言われる。ボクは、どっちを取るのもその人の自由だと思う。また、どっちも持ちえた場合は鬼に金棒で勝ち目はない。奥田瑛二さんに限り、そんな風に映る。
 奥田瑛二さんは映画・テレビ・映画監督な

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水ガマスのフライ

水ガマスのフライ

 ボクは最近、休みの日には魚の買出しに行きます。若い頃、お魚屋さんをやっていた。だから、目利きはOKなんよ。
 今日は三種類をかいました。

 水ガマスはフライ用、ウルメイワシは照焼用、小ムツは唐揚げ用に頭と腑を取った。

 昨晩は、水ガマスのフライを食べました。実は、鮮度抜群の相模湾産です。

 魚屋さんは、家族でやっていました。父は12年前に亡くなりました。母は一昨日亡くなりまた。

 30日

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コロナ禍以降、葬儀...

コロナ禍以降、葬儀...

 近く母の葬儀を行う。24日に亡くなった。25日には、すべての段取りを済ませた。兄弟のいないボクはすべてを決めた。また、相談すべく方はもういない。
 およそ10年前に父を送った。コロナ前は、結婚式の簡略化、また住宅事情などから結婚式場は葬儀場などへと変っていた。
 ボクも現役だったことと、最低限にお世話になった方へは声をかけせていただいた。質素をと思ったがそれなりの葬儀だった。
 時制の移り変わり

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6月1日 父の命日

6月1日 父の命日

今日は、父の命日です。

 平成25年6月1日、ボク達夫婦は小樽へいた。朝4時半頃、施設から突然に危篤の連絡があった。この旅行は、個人パッケージだったので、航空券を解約できない。まずは、行程どおり札幌へ向かった。
 時計台のある元農学校や大通りを観光しながら、今後の対応を家内と練った。テレビ塔前で、生ビールを飲んだ。間なしに、母から父が亡くなったと連絡が来た。眠るように亡くなったと。意識がなくなっ

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長寿より、第三の人生を

長寿より、第三の人生を

 10年ぐらい前に、秋元康「象の背中」と重松清「その日の前に」を読んだ。当時、"死"ということを特段意識していなかった。だから、淡々とそれらを読んだ。
 その後、父が亡くなった。その時も、精一杯介護をしたので悲しくあっても、"死"ということへ向き合う気持ちは起きなかった。ただ冥福を祈り、あの世での再会を誓っただけだった。
 また高校のクラブ活動中に親友を失った時には、抽象的に模索した。半世紀近く前

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