ジャワ島の海賊たちの宴
INDONESIA
1
2ヶ月前にインドネシア語を強化するために、家庭教師を1名雇い入れ、毎週土曜日の午前中に自宅に招き、約2時間余りを語学の勉強に充てている
その先生は、会社の現地人の経理部長が探し出してくれた、国立大学の現役の講師で、専門は日本語
約80名の生徒に毎日、日本語の文法や漢字を教え、日本語を習得した生徒たちを主に首都ジャカルタの日本企業へと推薦し、送り込んでいる
先生はいった——
”日本語の表現の奥深さに比べれば、インドネシア語なんてただ単語を並べるだけですよ”
果たしてそうかはわからない
若干30歳の若く、そして常に陽気な<博士>は、飄々とした涼しい顔で、しかし熱心に教えてくれる
ある日、授業を始める前のいわゆる<ICE BREAK>、雑談で先生はこういった——
”さわまつさんがインドネシア語を完璧に使えるようになったら、うちの綺麗な女子大生の生徒を何人かご紹介しましょう。
だから目的を持って、今日もはりきって勉強しましょう!!”
こいつのいうことは時々、信用できない・・・
2
7月の終わり、自宅で家庭教師の授業を終え、一緒に冷たいアイスティーを飲みながら8月の授業のスケジュールについて話し合った
Google Calendarに入れてある8月の週末の予定は、わたしには珍しく埋まりつつあった
東京本社から会長の来尼(インドネシア訪問)/日本人会での大型BBQ/送別会——
そのほかにも、8月は<ディエン高原>とKudusをそれぞれ1泊づつ旅するつもりだった
そして——
新型コロナウィルスに蹴散らされ、残念ながらまたひとり異業種の日本人が本帰国をされるのでその知人と惜別の1杯——
わたしは携帯を取り出し、WAで<その知人>に連絡をとり正確な帰国日を訊く
恐ろしく素早い返信があり、それにはこう記されていた
”さわまつくん、とりあえず今日にでも1杯いこうか”
3
その知人は今年65歳になる異業種で別会社の日本人幹部だ
奥さんを帯同しての着任だったが、その奥さんは帰国後の生活の準備のために先行して帰国された
この知人とはじつはこれまで正確に3度しか会っておらず、それはいずれも酒席だったのだが、この夫妻は何かとわたしに目をかけてくれるのだ・・・
そしてこの知人の最大の特徴は、海外赴任歴が韓国(釜山)、アメリカ(NY)であるということではなく、その見た目だった
物凄く怖い見た目なのだ
頭髪は剃り上げたスキンヘッドで鋭い眼光、テニスやバドミントンを継続しているせいなのか、やや筋骨隆々
着ている洋服も派手に原色を使ったデザインが多く、その筋の方でしょうかと思わず丁寧にうかがってみたい誘惑に駆られるのだ
日本でお会いしたことはないが、仮に日本の通りですれ違ったら、目を合わせないだけでなく、思わずおまわりさんへ通報してしまいそうな怖さなのだ
——”もしもし、おまわりさん、あのですね?ものすごーくこわいおじさんがですね、ぼくのほうをみつめています・・・・・”
そしてその風貌と、豪快で奔放な性格は、強烈な日差しのここ南国ではどこか海賊を思わせる陽気さと迫力があるのだ・・・
そのお誘いを受けた日は何も予定がなかったので、授業後に自宅を出て、車で迎えに行き、そのまま<Pantai Marina>で真昼からビール
その知人がわたしに連絡をくれた後に、数人に声をかけたみたいで、最終的に合計4人でジャワ海を眺めながらのランチ
全員、おっさん!!
そしてわたしが最年少
寒気がしてくるぜ
4
<MENU>
5
結局、男四人で四時間近く飲んだことになり、お店を出てそのまま海沿いへ移動し、いわゆる<海の家>でダメ押しのBINTANG BEER
その近々本帰国される65歳の海賊は、酒に酔ったせいか
<ぜんぜん、寂しくなんかねーよ>
とか
<二度とスマランには戻ってこねーからな>
と夕陽に向かって悪態ついてはいたが・・・
わたしは知っているのだ
このひとがいかにここSemarangを愛しているのかを・・・
なぜならこのひとからのWAのメッセージは、市内のレストランの新規開店情報やおすすめの宿、行くべき観光地などをこれでもかとわたしに発信してくれるのだ
それは親切心だけでは説明がつかないはずだ
この町に5年も根を下ろし、少なくともスキでなければそれはできない・・・
やれやれ
歳をとると人間はもう少し素直になるとは思うのだが笑
そしてわたしの方ももちろん、この知人——友人が帰国して去っていくのは寂しい限りだ
この夫妻が住む四国の高松に、わたしがやがて遊びに訪れる日が、そう遠くない日にやって来るのだろう
最後に困ったことがひとつだけある
この65歳の海賊の友人の帰国日は8月16日(水)——
それまでにあと2回も飲みにいくことになった笑
おしまい