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スマラン、世界の静かな中心
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前編
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Pamplona、SPAIN 2018-2019.
過去
Ⅵ
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その日、旧市街のEL GAUCHOでLuisとRita夫妻と出会い、遅くまで真冬のテラス席で一緒にお酒を飲んだ
それはわたしの人生のなかでも、おそらくは最も不思議な夜だった
特別な夜だったと言い換えてもよい
わたしのことを「息子」と感じている老齢のRitaと、そのRitaを福岡の実母にそっくりだと感じているわたし自身・・・
この日の記憶ー出来事は何もノートしていないが、今でも細部まで鮮明に思い出せる
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旧市街
通りがかったウェイターに、わたしが”Cerveza con Limón”ーレモン・ビールを頼み、Luis夫妻と、夫妻の友人夫妻、それにわたしの五名で
Salud!!——
その時点で知り合ってまだ数分に満たないが、スペイン人特有のひとに対する柔らかで温かみのある気質がそうさせるのか、あるいは、それは彼らの気質なのか、自然と、ごく自然と、かれらの輪のなかに加わらせて頂いたことになった
ビールを一口飲みテーブルに置くと、Ritaは素早くそのグラスを取り上げてわたしから遠ざけた
え——
誰だって不思議に思うだろう。一口飲んだだけのグラスを遠くに下げられたのだから
そしてRitaは真剣な口調でこういった
——”こんな寒い日はビールは一口だけでいいの。身体が冷え切ってしまうから。飲むならワインを飲みなさい。ワインは身体を温めてくれるから”
もちろんそれはLuisが隣で通訳してくれて理解できたことなのだが、わたしは素直に頷き、彼女のいうことに従うことにした
それはまるで、母が息子に言い聞かせるような強い優しさを感じさせる温かみがある言い方だったからだ
追加でPamplonaから程近いLogroño産のRIOJA WINEの赤と白のボトルが運ばれてきて、それに合わせたTapasが次々とテーブルに並べられた
この日以降、好んで開けるようになったのがこのRIOJA WINEだ。特に赤は、どのような銘柄であれ濃淡あるバニラのような香りがするのだ(細かな品評はできない)
ある日、夫妻の家に遊びに行った際にその話をすると、Ritaはいつも帰り際に紙袋に入れた持ちきれないほどのRIOJA WINEをわたしに持たせてくれるのだ・・・
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旧市街
——あなたはいつPamplonaに来たの。いつまでいるの。Pamplonaは気に入ったかしら。職場はどこなの。家はどこに住んでいるの。毎晩食事はどうしてるの。ワインを飲めるのならばRIOJA WINEを飲みなさい。ここのひとたちは皆そうなのよ。自家製のおいしいJamón Serrano (生ハム)を振舞ってあげるわ。だから一度わたしの家に遊びに来なさい。明日でも——
——職場はOrorbiaにあるのね。わたしの家もそこにあるのよ。
Ororbiaのあのレストランには行ったことがある?
アルサネグイ通りにあるのよ。一度行った方がいいよ
——ねぇ、みんな、今夜これからDON JAVIERに行きましょう。このこも連れて行くわ
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"DON JAVIER" restaurant, Ororbia.
——いいこと、このお店に来たら必ずcarne de cerdo guisadaを頼みなさい。いいわね?
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"DON JAVIER" restaurant, Ororbia.
"Carne de cerdo guisada"
この夜はまだ続いた
豚の煮込み料理をテイクアウトして、Ororbiaの山間にある巡礼者用の宿の共用スペースに移動したのだ
ここPamplonaはキリスト教の三大巡礼路のひとつSantiago de Compostelaの交通の要所でもあり、こうした巡礼者用の簡易キッチンが併設された共用のスペースが各所に設けられているのだ
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Pamplona、SPAIN 2018-2019.
過去
Ⅶ
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この夜を境に、Luis夫妻との交流が始まった
とにかくRitaが頻繁にWhats Appで連絡をくれるようになり、一時期の週末はこの夫妻の家で過ごさせて頂くことが多かった
もちろん、泊めて頂いたことも何度かある
夏場の強い陽射しの太陽の下で、首にタオルを巻いて庭の手入れを手伝いに行ったり、夫妻が週に一度まとめて食料品やワインを買うのに手伝いに行って、大量の紙袋の荷物を車と家を何往復もして運び込んだり・・・
そして夕方からは必ず酒宴となった
夫妻の自宅で手料理とワインを飲んだり、新市街や旧市街のバルへ飲みに行ったりと、この不思議な縁を持つこの夫妻とはいったい何度乾杯したことになるのだろう
そして、この夫妻とはじつに様々なことについて話し合った
基本的に英語が主流の会話で、わかることよりもわからなかったことの方が多かったような気もするが、言語はいつでもそこでは副次的な問題でしかなかった
相手に通じているというたしかな信頼がそこにあったからだ
お互いのこれまでの人生やこれからの人生、趣味、スペインと日本、芸術と音楽、映画と文学、夫妻が毎週欠かさずに観ているスペインのコメディ番組と料理番組・・・
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旧市街
やがてわたしがPamplonaを離れることが決まった日には、Ritaはわたしを強くハグしてくれ大粒の涙を流しながら泣きに泣いてくれた・・・
Semarang, INDONESIA. 2023
現在
Ⅷ
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Ritaが昨年送ってくれたわたしへのバースディ・メッセージを読んでいると、途中で辛くなってきた
それがわたしにとって辛くないはずはなかった
まぎれもなく、わたしは「母」を失ったことになるのだから
わたしは読書用の眼鏡を外し、安物のワインを一口飲んでそれがほとんど味がしないことに気がついた
それが安物だからということはないはずだ
精神状態、というといささか大げさかも知れないが、心理的な何かが味覚に直結しているのかも知れない
たまに買ってきて飲んでいるいつもの銘柄だったが、このとき不思議と味を感じなかったのだ
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Ritaからのメッセージで翻訳がもっとも困難だった箇所がいくつかあった
それは一部の単語にベルベル語が使われていたからだ
スペイン語ーバスク語もベルベル語も難解なことに変わりはないが、しかしベルベル語はわたしには馴染みのない言語だった
そのような名前をもつ言語があることなど、わたしは彼女と出会うまでは何も知らなかった
Ritaの出身はスペインの南、Valenciaだと当時聞いたことがある
当時はそのことにほとんど気を止めていなかったが、こうして地図で見ると、Valenciaの、海を挟んで対岸にはモロッコの
مدينة الجزائرがほとんど直線上にあることがわかる
ベルベル語はそのمدينة الجزائرで使われていることを知ったのは、昨年、この手紙を翻訳しているときだった
ヨーロッパに住む多くのひとが、やはり様々な国に発祥のルーツを持つのと同じく、Ritaもなにかしら、مدينة الجزائرと関りがあったのだろうか
〈異邦人〉を世に問うたアルベール・カミュと、かれの文学的、哲学的な師でもあった〈孤島〉のジャン・グルニエ
かれらの文学的な青春時代と作品の背景には、مدينة الجزائرの太陽の光と、青い海が広がっていたはずだ
ジャン・グルニエが〈孤島〉でまるで断定するように書ききった
したがって、たしかに真実だと思われることは、人間が生まれるときから死ぬまでに遍歴しなければならないあの広大無辺の孤独の中には、いくつかの特権的な場所、いくつかの特権的な瞬間が存在するということだ
この一節、もしかするとわたしの人生の中でひときわ眩しく輝き、たしかに存在した〈特権的な場所、特権的な瞬間〉はスペインのPamplonaとLuis夫妻がもたらしてくれた、文字通りのかけがえのないものだったのかも知れない——
そして、しかし、苦笑してしまうのは、バースディ・メッセージにこのような多言語を用いて送ってくる彼女の性格だが、それはそのままの意味で、率直で飾りのない言葉をストレートに相手に届ける「母」だったのだ・・・
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Semarang, INDONESIA. 2023
現在
Ⅸ
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新市街
わたしは手紙をデスクに置き、しばらく頬杖をついたままただぼんやりとしていた
どのくらいそうしていたのだろう
やがて奇妙な気配がすることに気がついた
この、ひとりでは持て余す広い家の階下に、ふと何者かが歩いているような気配がしたのだ
玄関や窓は確実に閉め切っているので、誰かが侵入したということはあり得ない
あり得ないはずだ
だがこの気配は——
わたしは寝室の扉にそっと歩み寄り、集中して耳を澄ませる
聞こえてくるのは外の断続的な雨音と、それを縫うようにして聞こえてくるお隣りの赤ちゃんの泣き声だけだ
小さな音でかけていた音楽はすでに止まり、ほかには何も聞こえない
しばらくそのまま扉の前に立っていたが、階下からは何も聞こえてこない
気配のようなものは感じるが、気のせいなのかもしれない
わたしは飲みかけのグラスを手に取り、階下で流して洗おうと思い寝室の扉を開けると、その目の前の廊下に微かな匂いを感じた
雨の匂いだ
雨がアスファルトに降り、あるいは地面に降って生じるのであろう、あの雨特有の匂いだ・・・
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階段を下り、照明を落としておいたキッチンが併設されたリヴィングの灯を点けると、当然だがそこには誰もいなかった
だが、濃い雨の匂いが二階よりも強く漂っていたような気がした
まるでこの雨の中を、誰かがわたしの家についさっき帰って来たかのような濃い匂いだった
玄関と、独立した二階にある洗濯機置き場も、倉庫として使用している小部屋も全て見てみたが、やはり、いや、当然どこにも、誰もいない——
キッチンの流しでグラスを洗っていると、雨脚が強まり、この国特有のいつもの強烈な雨へと変貌していった
それはまるで、普段は穏やかなひとが、何かの怒りをもって激しく変貌するかのような変化の仕方だった
この国では様々な降り方で雨は降るが、それはいつものことだった
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十一月で満二年、ここインドネシアに赴任していることになる
なかなか興味の尽きない国ではあるが、この国のひとつの、そして最大の特徴は「雨」だ
何しろ首都のJakartaが降雨の影響で水没し、この国は世界的にも類例のない理由で首都移転計画を内部に抱えているのだ
この国のその雨は凄まじく、大粒の雨が連夜降り続き全てを麻痺させーだから交通も通信も遮断し、まるで世界の終わり、あるいは、始まりのように延々と、そして執拗に降り続けるのだ
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グラスを洗い終え、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、今度は二階の廊下を何者かが歩いている気配がする
微かに音もする
わたしはその場に静止するかのように立ち止まり、耳を澄ませるが、間違いない
二階に何者かがいる
廊下を進み、右手にあるわたしの寝室に入っていくような確かな濃い気配があった
だが、不思議と恐怖は感じなかった
何故なのだろう
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今年の春に一時帰国で福岡に帰省した際、「偶然」、ある旧知の老女と街角で再会し、共に一時間ほど一緒によく冷えた珈琲を飲んだことがある
老女は自分の死期を静かに見定めており、わたしと会うのは
”間違いなく、これで最期になる”と自身への不吉ともとれる予言を残した、かなり変わった方でもあった
その老女は、わたしには”特別ではない”が
死者を惹きつけるある資質を具えていると静かに言い放った
その日以降、ここSemarangで当たり前の日常生活に戻っても、この老女との奇妙な会話はいつも、そう、一日に一度は確実に思い出すようになっていた
奇妙な信憑性があったのだ
嘘を話したり、わたしをかついでもそれにどれほどの意味があるのだろう
それにその老女は昨秋自殺してこの世界の死の扉を、やはり深い沈黙と共に開けて退出していったわたしの大事な友人をも正鵠に射ていた
それは老女が知ることができない事実だったのだ
それまでどちらかというと、その手の話には懐疑的ではあったのだが、わたしの手相を見ると、その老女はこうもいった
——”きみには運命の神秘性を信じることができる素地は間違いなくもっている”
そして
——”きみの身の回りには今後、奇妙で不思議なことが続けて起こるわ。それはなんというか、一般常識や一般論理を超えたものよ”
だとしたら
今わたしの家の二階の寝室に「入っていった」のは、先ごろ天に召されたRitaなのか
あるいは、自裁した友人なのか
彼女たちが、夜のこの重たい雨の匂いを従えてわたしに会いに来てくれているのではないか
そう思い至ると、突然胸に鋭い痛みが走った
ひとが誰でも抱えながら耐えていかなければならない、あの、喪失が生み出し続ける痛みだ
その痛みは痛切で、思わず蹲るほどに激しいものだった
まるで金縛りにあったように、しばらくは身じろぎひとつできなかった
激しい動悸の音が雨と赤子の泣き声に混じり合い、身体が小さく震えるだけだ
死者たちが開けていった深い喪失の穴は決して閉じられることはない
その痛みの中で、死者たちが遺した問いを引き受けながら、自分の人生を生き切るしかない
お隣りさんのあの小さな女の子の赤ちゃん
彼女の名前は何と言ったか
思い出せない
どうしても思い出せない
あの可愛い、まだこの世界に生まれて来たばかりの——
二階の気配は、それは幽霊なのか、亡霊なのか、あるいは、悪霊なのか
それぞれの定義などは知らない
調べることもしないだろう
それがどのような性質のものでもいい
だから何でもいい
死者の喪失が生み出した痛みは、死者にしか埋めることができないはずだ
もう一度だけで構わないから
ぼくはあなたに会いたい
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Love you so much.
Always think that music that cannot make the audience forget about this world is no longer music.
聴衆に、この世界のことを忘れさせることができない音楽は、それはもう音楽ではないと、私はいつも考えている
J.S.Bach "The Goldberg Variations"
バッハ ”ゴルトベルク変奏曲”
Glenn Gould (1955)
END