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ぼくのエッセイ

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エッセイと日記の違いは、『読んでくれる人が居るか否か』だと思っています。
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#創作

【エッセイ】 クロックスに穴が空いた

クロックスに穴が空いた。左足の母指球のあたり。
学生時代に疲労骨折した場所と同じだ。運動やらスポーツから遠ざかって過ごしているのに、その頃の身のこなしは衰えていないのかもしれない。

「やけに小石が入ってくるなー」とか、「心なしか濡れてる気がするなー」とか、「地面の起伏をダイレクトに感じるなー」とか思っていたが、まさか穴が空いていたとは。
足を組んで座っていたら、後輩に指摘されて気づいた。
「靴下

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【エッセイ】 導線が長い。

久しぶりに自分に関する文章を書きたいと思った。
最近、身体の芯が失われている。
どこかへ向かう時、思いがけない方向に身体が傾いてしまう。
あくまで比喩の話だが・・・

僕をうんざりさせるような話題は相変わらず尽きなくて、つい最近も後輩同士の不毛な諍いに巻き込まれたりした。
悪意と敵意しかないやり取りを散々見せつけられて、こんな奴らのそばにいたくないと心から思った。
「〜さんはどう思いますか!?」

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トモダチごっこ

トモダチごっこ

 僕は俗にいう『ボッチ』であった。
 そのおかげで、大学生活は僕にとってとても穏やかで有意義なモノだった。散歩に出かけるような心持ちで大学に向かい、講義を受けた。何かに急き立てられることもなく、何かに苛立つこともなく、何かに興奮するわけでもない。そんな良くも悪くも平坦で、次々と湧いてくる雑念を押し込める必要の無い日常は僕が望んだものであった。
 ただ、そんな平穏な生活でも執着やら拘泥やら熱狂の類が

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日が長くなる

『日が長い』という表現を、近頃耳にするようになった。『陽』ではなく『日』が正確な表記らしい。

確かに、日の出時刻は着実に前進し、日の入り時刻は後退している。

『日』の本質は『陽』である。人は太陽に倣って活動と休息を繰り返す。
『日が長くなる』という、矛盾を孕んだ表現は、太陽に付き従うことしか出来ない人間の無力さを表しているようにも思える。

そういえば、学生時代の部活動は、日の長さによって活動

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【詩?】 僕の愛する『牧野ヶ池緑地』!!

【詩?】 僕の愛する『牧野ヶ池緑地』!!

僕の近所には緑地がある。
江戸時代に灌漑用に作られた人工池と,それを覆い隠すように茂る雑木林から成るその地を,人は『牧野ヶ池緑地』と呼んでいる。

僕の住んでいる名古屋市名東区は都会と言い切るにはやや味気ない部分がある。しかし,容易く喧騒を遠ざけることができるほど慎ましい街でもない。
だからこそ,手っ取り早く自然を感じることが出来るその場所が昔から好きだった。

アスファルトの浮いた遊歩道を歩く。

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『無傷』というコンプレックス

『無傷』というコンプレックス

深い不幸に襲われた事が無い。

愛していた人が急に死んだとか、家を失ったとか、信用していた人に裏切られたとか。そういった前が見えなくなるような衝撃的な出来事に直面した事が無い。それは本来いい事であり、人はそれを『幸福』と呼んでいるのだと思う。
しかし、僕はその幸福を心から歓迎することが出来ない。

僕を傷つける出来事というのはいくらでもあって、そうした事態に直面する度、自分を『不幸せ』だとか『ツイ

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