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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#ブログ

“書き頃”まで熟成させる

“書き頃”まで熟成させる

中学生頃から、何かを思いつくたびにメモをする習慣がある。学生時代は、そのほとんどが創作に関するネタだったけれど、今はnoteやブログに書きたいと思ったものの断片をメモすることも多い。

昔は手書きのノートだったけれど、今はほとんどがスマホに詰め込まれている。中にはnoteの下書きに直接入れられているものも。キーワードだけであったり、一文であったり、タイトルだけであったり、メモの形はさまざまだ。

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「個人的な文章」の感じ方

「個人的な文章」の感じ方

「自分語りはいらない」という意見を見聞きしたことがある。「無名の人間が個人的なことを書いた文章は読む気にならない」という言葉も見たことがある。個人的には、そうした意見はわからなくはない。「え、うん。そうなんだ」としか感想が浮かばない文章は、確かにたくさん存在している。

けれども、わたしは「個人的な文章」が割と好きだ。別に読み手のウケを狙ったものではなくても、「いいな」と感じるものはある。作家個人

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センセーショナルの向こう側にあるもの

センセーショナルの向こう側にあるもの

センセーショナルなものは、簡単に人の目を惹きやすい。

人の感情を刺激するようなタイトルや内容、逆撫でするような表現。こうしたものが特にネット上に溢れているのは、センセーショナルなものの方が単純に閲覧者が増えるからだろう。

「これ、おかしくない?」「何か腹立つ」

そういった感情は爆発しやすい。Twitterを見ていても、次々に拡散されていくものには、こうしたものが多いなあと感じる。

だからこ

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書くことで、守られている

書くことで、守られている

1月が終わった。先月のわたしは、少しだけいつもより落ち着いていたように思う。

あくまで「当社比です」なのだけれど、快晴と暴風雨を繰り返しがちだったここ半年のなかでは、随分落ち着いていたのではないかな。

単純に、1月は年始が含まれるため稼働日数が少なく、さらに冬休みやらインフルエンザやらで、子どもたちが在宅しているなかで仕事をしなくてはならなかった多忙感が理由かもしれない。

忙しいと余計なこと

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ものが書けないとき

ものが書けないとき

「書けないときには無理に書かなくてもいい」

そういっていたのは、高校時代の先生だった。文芸部の顧問で現国の教師だった先生が、部員にいっていた言葉だ。

その言葉通り、部員たちは毎月発行される部誌で、「書けないときは書けない」を実践していた。……わたしは、高二の終わりになし崩し的に入部したことになっているらしい幽霊部員に過ぎなかったから、詳しいところまではわからないのだけれど。

最近、思うように

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言い切るときの主語は誰ですか

言い切るときの主語は誰ですか

曖昧な発言は、良しとされないことが多い。

自信がなさそうに捉えられてしまい、それが信頼感の欠如にも繋がるからだろう。

方向性をずばり指し示してくれる、言い方は悪いけれど「口が上手い人」は、多くの支持を得ることが多いように思う。

昔でいえば、小泉元首相だとか。政治家でも起業家でも、「言い切る」ことができる人は、周りに安心感を与えるのか、人気に火がつくことが多いように感じる。堂々とした様子に、「

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それは、たとえば恋のお相手のように

それは、たとえば恋のお相手のように

誰にでもできるかもしれないけれど、その人にしかできないものは、やっぱりある。そう思った一日でした。

はじめて、きちんと自分の写真を撮ってもらいました。ふだんは母親だということもあって「撮る側」ばかり。メインで撮ってもらう側に立つことは、恐らく結婚式以来だったのではないかな。

もともと写真映りはあまりよくありません。自然に写ること自体苦手なのだけれど、ご縁をいただいたことで飛び込んでみたのでした

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「書くこと」について本気出して考えてみた

「書くこと」について本気出して考えてみた

わたしはライターとして、文章を書くことを仕事にしている。

もともと、創作活動や、今のnoteのような文章を垂れ流すブログを十年くらい続けてきた。文章を書く仕事は、記者と作家とコピーライターくらいの知識しかなかったし、仕事内容だって多くを知りはしなかった。

この世界に踏み出してみて、「ものを書く」にはいろいろな種類・仕事があるのだなあと知った。そうして、さまざまな文章があるのだなあ、ということも

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