「書くこと」について本気出して考えてみた
わたしはライターとして、文章を書くことを仕事にしている。
もともと、創作活動や、今のnoteのような文章を垂れ流すブログを十年くらい続けてきた。文章を書く仕事は、記者と作家とコピーライターくらいの知識しかなかったし、仕事内容だって多くを知りはしなかった。
この世界に踏み出してみて、「ものを書く」にはいろいろな種類・仕事があるのだなあと知った。そうして、さまざまな文章があるのだなあ、ということも。
ライターの仕事では、書き手の主張やカラーは不要なものも多い。そもそも、誰のものであろうとも主義主張が不要な、データ的な文章を書く仕事だってある。
ただ、ライターの主義主張は不要なのだけれど、そのライターがふだんからそのテーマに対してどう考えているのか、大して考えていないのかは、結果的に隠しきれずに文章に出てきてしまうのではないかと感じている。わたしがコラム記事を読んでいるときに感じるのだけれどね。
実際に、「いい記事ですね!」と言ってもらえたものは、自分自身が当事者に近くて、需要を想像しやすい内容のもののことが多いように思う。
「これを知りたいよね」「たぶんこう悩んでいるよね」と想像しやすいものほど、きっと文章も豊かになるのかな。もちろん、そこから距離を置いて客観的になる必要はあるのだけれど。
まあ、あえて炎上させたくて、その表現・主張を選んだというケースも、記事やメディアの種類によってはあり得ることだろうから、紛れているのがライターの本音だとは言い切れないけれど。
だけど、悪い見方をすれば、そうした仕事を選んだ、という事実はあるともいえる。(仕事を取捨選択できるフリーライターならだけれど)
そこは、そのライターのポリシーなり、仕事に対しての考え方によるところなのだろうな。
わたしは、主義主張を仕事で言いたいわけではないけれど、とはいえ自分の芯に反したものを書きたくはない、という考え方をしている。
それが許されるのが、会社に属さない今の仕事のメリットだとも思っている。記名だろうが無記名だろうが、わたしがわたしに堂々としていられる内容のものを書いていたい。
最近受けた仕事では、「読み手に寄り添った文章で」という注文がついていたのだけれど、これはもう、万々歳の例だ。誰かを刺すための文章を書けない・書きたくないわたしにはうってつけのご依頼で、ありがたい限りだった。
創作のときの姿勢と変わらないのは、この「刺しにいけない」という点くらいだ。それ以外は、似て非なるものだと思っている。
創作とライターの仕事の文章とは、文章だけれど別のものだ。書かねばならないところ、あえて書かない、あえて書く、さまざまなところが違うのだと思う。好き勝手に書いている、このnoteと創作だって、書き方は違う。
創作では「正しい日本語」はベースで、その文章で何がイメージされるのか、登場人物は生きているのかが大切だというか。そのためには、あえて読みづらくさせる方がいいものもあるのだろうし、「正しさ」にとらわれ過ぎない方がいいときもあるのだろう。
創作は芸術的分野でもあるからだ。芸術性の度合いは、創作ジャンルによっても変わるところだから、「読み手ファースト」の程度の正解はないのだと思う。その自由さにより、文章に個性が生まれるのだろうし。
とはいえ、独りよがりになりすぎると、それはまた「誰も読んでくれない」ことになり兼ねないので、バランスがむずかしいところではあるのだけれど。読み手ファーストに振り切りすぎた創作は、それはそれでおもしろくなさそうだしね。
もちろん、ストーリーのおもしろさや着眼点など、文章以外のさまざなものも大切で、それらすべてを必要とするものが創作だろう。(着眼点はライターでも必要なもののひとつだね)
ちなみに、わたしは「その登場人物の声が聞こえる文章」を書きたい。セリフだけではなく、地の文章があるからこその「生きている登場人物」だろうなあと思っているから、何もセリフだけのことを言っているのではない。
生きた登場人物を描くためには、言葉を足すこともあるし、あえて抜くこともある。ここがむずかしいところで、それでもそこが楽しいところだと思う。(言葉どころかエピソードひとつふたつを足したり引いたりはザラだ。だよね?)
「文章を書く」のではなく、「文章で描く」のが創作かな、なんてことを考える。
「文章力を上げたい」という気持ちは仕事のときに感じることの方が多い。というか、創作では「文章がうまく書けるようになりたい」とは思ってこなかったかもしれない。創作では、文章力よりも「感情を深めること」「登場人物の気持ちになりきって、かつ距離をとることを忘れないこと」「空気の匂いや手触りを感じること」を磨きたくて、それを文章で描けるようになりたいと思っている。
徹底的に頭の中に描けて、はじめて言葉にできうるのだと思うし、そこからがスタートなのだと思う。それを、いかに書いて、いかに書かないか、というさじ加減も含めて。
……いや、仕事でもそうなのかな。
文章はあくまで表現方法のひとつにしか過ぎなくて、それで「何をどう書くか」が大切なのだろうから。それとも、それらすべてが文章力といわれるものなのだろうか。
……迷走してしまった。
仕事では、「読んでよかった。これが知りたかった。ためになった」と思えるものを書きたい。創作であれば、「ちょっと気持ちが軽くなったかも? 読んでよかった」と思ってもらえるものを書きたい。そんなことを思っている。
……タイトルは遊びました。(ポルノグラフィティ好き)
本気出して、かはおいておいて、考えてはいます、常々。(考える屋さんがあるなら就きたい)