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書くことで、守られている

1月が終わった。先月のわたしは、少しだけいつもより落ち着いていたように思う。

あくまで「当社比です」なのだけれど、快晴と暴風雨を繰り返しがちだったここ半年のなかでは、随分落ち着いていたのではないかな。

単純に、1月は年始が含まれるため稼働日数が少なく、さらに冬休みやらインフルエンザやらで、子どもたちが在宅しているなかで仕事をしなくてはならなかった多忙感が理由かもしれない。

忙しいと余計なことを考えていられないというのは、やっぱりある程度は事実だから。(多忙でも不調を起こさないわけでない)


ただ、この「当社比・凪いだ感じ」の理由はなんだろうなあと考えてみると、きっと「書いている」からなのではないかという答えに行き当たった。


年末頃から、noteを毎日書いている。毎日書くぞと決めたわけでもないのだけれど、毎日書き続けてきた。

これが、きっとわたしにとって、いい作用を及ぼしているのではないかな。

noteはスマホで書いている。仕事のようにパソコンで書くわけではなく、Twitterのように短文をスマホで打ち込むわけでもない、この「スマホで長文」が、もしかしたらいいのかもしれない。

スマホを使っていると、なんだかどんどんテンポが速まってしまって、気ぜわしさで苦しくなってくる気がしてしまうのだけれど(情報の勢いのせいだと思う)、noteを書いているときは、すとん、と浮き上がっていた心が底につく感じがする。

押し流されそうになっていた感受性を、わたしの手元に戻すことができる。

ただただ、ぽつぽつと頭に浮かんだ言葉を、人差し指をすべらせて書き綴る。この時間は、きっと今のわたしにとって必要なものなのだろう。


「書くことがあったから生きてこられた」と、二十歳そこそこのわたしは思っていた。日記やブログ、創作など、わたしはとにかく文字で吐いて吐いて吐くことによって、バランスを保ってきたのだと思う。

吐かねば、そのうち内側からパンクしてしまう。そんな風に感じていた。

それは、きっとあれから十年が経った今でも、変わらないのだろうな。


仕事としての「書く」とは別の「書くこと」は、わたしにとっての薬であり、お守りだ。

書くことによって、わたしは守られ、救われ、生かされているのだろうなあ。


定期的に自分を見つめて、取り戻す。確認する。そうして、また外の世界に目を向ける。

このサイクルを、大切にしていきたい。



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卯岡若菜
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