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お願いします。本当に読んでほしいです。1万字は無料で読めます。【自己実現と幸福の心理学】完全版

※有料記事部分は、500円で全ての有料記事を読むことができる「有料マガジン」購読でお読みいただけます。

いかがお過ごしでしょうか。トビタケです。

最近は、心理学を勉強し始めてから2回目のブレイクスルーが起こっている気がします。ちなみに、1回目のブレイクスルーは、基本的な知覚・認知心理学と神経伝達の仕組みについて知ることができたときでした。

きっかけとなったのは、カウンセリングの理論という本を読んだことです。今までは高校の社会で触れられたフロイトやユングの心理学が難しそうだったので、手を出していませんでした。

ですが、実際彼らの理論は心の治療のために工夫を重ね積み上げられたもの。学んでみない手はないというのが今の感想です。

今回紹介する中で三大心理学者「フロイト」「ユング」「アドラー」の話が出てきますが、このいずれの人も、懸命に人の心と向き合ってこられた方です。必要だから、考えられるだけ考えて、臨床・治療をしたし、本を書き起こした。後世に生きている私たちのために遺された知恵です。それがすべての人に渡るべきだと思います。病的な状態を治すため、また、一人ひとりのより意味を感じられる生活のために彼らは懸命に生きたのです。

私が最近感じたのは、心理学の敷居の高さです。よく知られている図や用語などについてはなんとなくインターネットで理解できるかもしれませんが、そこから適切なものを取ってきて自分の中で知識として整理するのは難しい。なので、通常よりもなぜか心理学への関心が強い私の存在意義があると思っています。生活に活かせる本質的な心理学の知識を、誰でも理解のできる形で、ある程度深くまで伝えたい。切実に必要とはしていないけれども少しでも知りたい、と思っている人のために心理学の伝道師になりたいです。

※前半部分(本編)は無料で見ることができるようにしますが、後半部分(まとめ)は500円のマガジンに入っていないと見れないようになっています!メモのような形であまり整理されていないんですが、後半部分だけは実際に使える形でまとめた状態にします。そこに結論があります。ご購読いただいている方は、まとめのところから読んでみてください。
前半部分では、情報量は多いので、心理学の結構な部分を知ることができると思います。


みんなのための心理学

以下は、私たちの行く手を阻む、いわば人生の障壁です。
「私はあらゆる領域・状況でこの世界(社会)と相性が悪い!?」
「不適応的スキーマ」
「勇気くじき」
「抑圧」
これら4つの障害を取り除く知恵が、心理学にはあります。そして、自己実現と幸福の人生へと連れて行ってくれるのです。本稿を最後まで読むことで、あなたは自分の武器を知って、柔軟な考え方を身に着け、勇気を持ち、自分の中にある大事な何かに気づく「手がかり」が得られるはずです。


本編(整理されていない)

最近、河合隼雄さん(1928-2007, ユング心理学の第一人者で大変有名な方)のご講義をYouTubeで見つけた。

とびっきり頭にすっと入ってくる話し方をされる人だ。


  1. ユングの生涯

  2. 意識と無意識

  3. 人間のタイプ

  4. コンプレックスについて

  5. 元型

  6. アニマ

  7. アニムス

  8. 夢の分析

  9. 自己

  10. 個性化(自己実現)の過程

  11. 日本人の課題

この動画だけで12個の話が入っていて、全部で7時間近くの動画になっている。長い…と思うかもしれないが(実際長い)、凄く凄く面白かった。

その一部を紹介すると、

ノイローゼ(神経症)の人たちの治療にあたっていたフロイトとユングだが、当時は治療方法が確立されていなかった。

フロイトの書いた本にユングは感銘を受け1907年の3月3日に初めて会う。そして13時間ぶっ続けで話をした。

両者の意見が一致したのは、心の深いところ、潜在的な動きが作用して症状を作っているのではないかというところ。フロイトは心身症など含むノイローゼの患者を相手にする事が多く、ユングは精神分裂病(現在の統合失調症)の患者を相手にする事が多かった。

フロイトは、治療のために、心について考えた。

性に絡めて考えることで、解決することが多かった。


※ここからしばらくは『カウンセリングの理論/國分康孝』より

フロイトは、

自我(外界に対応しようとする自分の意識)、超自我(後天的に内在化した文化やしつけ・常識)、エド(リビドー…生きるための力/生の本能・破壊的な衝動/死の本能/攻撃性)

が心であり、超自我で押さえつけた自らの性的な力が交錯し、症状を生み出しているという理解に。無意識下に欲求の表出が「抑圧」(防衛機制・適応機制)された結果、様々な症状が出ていると解釈して、治療を進めようとした。

ユングが1913年にフロイトから離れたのは、

「口唇期(授乳体験で愛情を受け取り適切な時期に乳離れをする)」

「肛門期(厳しすぎないトイレの訓練で欲求の充足を延期する適応的な能力を身につける)」

「男根期(女児が男根羨望を持つが、女性であることを受容され、男児が母親と・女児が父親と一緒になりたいと思うが、それは叶わないと知り、母親/父親のような女性/男性と一緒になるためには父/母を接種し男らしさ/女らしさを身につけなければいけない、となる)」

「潜在期(小学校で、禁止や命令など社会のルールを学習する社会化の時期。このため、本能的欲求であるエスを無意識哩で抑圧、あるいは意識的に抑制せざるを得ない。ある程度の現実原則に従うようにし、快楽原則を抑えられるようにしなければ、社会化は果たされない。が、その抑え込む限度を超えると登校拒否や暴力などに繋がってしまう。適度に欲求を社会に容認される形で発散するすべというのが、人間にとっての適応機制だ。そのうち、最も健全なものは昇華と呼ばれるもの。)」

「性器期(青年期で、性感情が出てくる。罪障感や不安感なしに異性と感情交流ができるようになれば、一人前であると考える。精神分析ではこの人間像を目指す。口唇期、肛門期、男根期、潜在期のそれぞれの問題を上手に乗り越えてはじめてたどり着ける状態。未解決の問題を持ち越していない)」

以上のような人間への見方が、セクシュアルの面の非常に強いものだったから。


※以下、河合隼雄講義

ところで、ユングは1903年にフロイトのもとを離れてから、1907年までの4年間、自身も妄想幻覚を見る症状にかかった。その経験も呑み込んで、その後の自身の治療スタイルを確立している。

患者さんが「宇宙に旅行に行った」とか分からないことを言うし、フロイトのような精神分析の方法では患者さんの心の内、無意識を理解することもできない。その理解の難しい乱立した言葉の中から、治療へのアプローチを考えないといけない。

※現代では、ドーパミンの異常として投薬での治療、入院、その他のアプローチで統合失調症は治療されたりする

そこで、ユングは普遍的無意識(魂)について考えを巡らすことになる。人の無意識の根っこの部分には、フロイトの言う後天的な超自我だけではなく、もっと人間に共通で存在する心の性質があるんだということを考えた。

それについて、人間のタイプ論―「外向、内向」×「思考、感情、感覚、直感」の話でアプローチしたり、コンプレックス、影、アニマ、アニムス、夢の分析、自己、個性化(自己実現)などの概念で説明しようとしたのがユング。


人のタイプについての話だけ少しここで考えてみる。

先天的に、生まれ持って与えられている性質が人間にはある。
それは、文化やしつけとして後天的に無意識に内在化したものより前に、もっと本質的なものとして心にあるもの。

例えば、「外向、内向」×「思考、感情、感覚、直感」で表現できる8タイプの組み合わせのうち、

外交的で思考型の人は、つまり興味や関心が外界に向いて、考えたり分析するのが得意な人が向いているものは、あるだろう。ただ、学校では過ごしやすいタイプ。

内向的で感覚型の人は、興味や関心が内界に向いて、見たり聴いたり触れたりする感覚が鋭く、色、形などにも強い。漫画家が最たるもの。だけれども、教科書からは外れる。学校生活には慣れにくいかもしれない。

というように、※全てこれに当てはめられるわけじゃないが 人の心には、生まれながらにして、つまり遺伝子のレベルで、組み込まれているなにかがある。また、そこに共通性があるのだとしたら、人類にとって、あるいは文化単位において、ある家族において、共有している何かがある。こんな、普遍的無意識を探ろうとしたのがユング。

主要機能と劣等機能があって、例えばメインが思考でサブが感情という人もいる。後天的に、社会での位置として必要になる機能がある。そこに適応できることもあれば、やはり自分に合っていないということで、異常に疲れたり、精神的に異常をきたすこともある。無理に明るく振る舞おうとして、とてつもなく疲れる人がいるのと同じ。

また、シャドー・影というのは、無意識の中に抑圧され、不健全な形で私たちに影響を与えてしまうもの。これが知らず知らずのうちに他者への見方に投影されていたりするが、それを自分の中にある性質だと認識(無意識の意識化)をすることで、自分の中に否定したいものがあることをよく知ってみることを目指す。これが個性化(自己実現)に繋がる。自分にはどんなコンプレックスがあるかということと、向き合うことが必要である。


ここまで見てくると、フロイトだって、ユングだって、あとはここでは書いていないがカウンセリングに多大な影響を及ぼしたロジャーズだって、「無意識の意識化」をすることを結局はいろいろなアプローチで行おうとしている。心の深い部分と向き合うということだ。

ここで、三大心理学者の一風変わった一人、アドラーを見てみたい。

治療へのアプローチを、

・身体生理の問題と繋げられるんじゃないかと考えたのがフロイト。
・人より優越したいという社会的な繋がりの関係で考えたのがアドラー。
・人間の心の問題を、深い深い層の魂(普遍的無意識)の問題と結びつけて考えようとしたのがユング。

アドラーは、フロイトとユングのコンプレックスについての考えとは少し違うようだ。

フロイトは、先ほどの男根期の父親や母親への羨望が挫折し男性性・女性性を接種するという課題を乗り越えられず、エディプスコンプレックス(父親や母親以外の異性を愛情対象にしなくなる)になると考え、これを精神分析の洞察の核概念とした。そしてさらに、心のしこり、偏癖として、カインコンプレックス(兄弟に向けてのもの)、ダイアナコンプレックス(女性の男性に向けてのもの)、スペクタキュラコンプレックス(女性の体を見たい男性、男性に体を見せたい女性)、ナーシシズム(自己中心性、万能感、うぬぼれの三つが合体した幼児性)、退行コンプレックス(幼児性が行動の核となり、現実にチャレンジするのを回避し他者に甘える傾向)などのコンプレックスを挙げ、それらに気づき、意識して行動することで健全な人間成長を果たせるとした。※『カウンセリングの理論/國分康孝』より

ユングは、自分のコンプレックスを他人に投影すること。シャドーを投影することを言った。浮気をしたいが、自分はできないと思っている。そして、その自身のシャドーを相手に投影して、相手が浮気をしているのではないかと言う。メサイアコンプレックス(私こそ救世主となり人を救いたいと言うが、実は自分が救われたい)もある。

対してアドラーは、劣等感コンプレックスの問題に帰結するのだと言った。

※以下しばらく岩井俊憲さんの『アドラー心理学による カウンセリング・マインドの育て方』を参考に

アドラーは、子供の頃からぜん息などで苦しみ、自分の身体・器官の弱さとつきあっていたという。中学校低学年までは成績も悪かったが、父親や教師の勇気づけによって自らの劣等感を克服したという背景がある。

そのユニークな人間観は、人間の行動には目的があるとするものだった。そして、自分の行動は自分で決められるのだという主張をした。

人間の行動の理由を、原因のせいと考えることもできるし、目的のせいと考えることもできる。精神分析的な考えでは、無意識の抑圧など過去の原因があって、人間の精神的不調が起こっているという考え方があった。しかしアドラーはそうは考えない。

人間はみずからのコントロールできない原因に対して無力に反応するだけの受動的な存在ではなく、目標を自ら設定して主体的に決断し行動する存在だとした。

フロイトは自我、超自我、エドを考えたが、アドラーは人間の内部には分割できる部分はないとした。全体として捉え、意識と無意識を考えたりはしなかった。人間の内部に分裂や葛藤があるのではなく、ある目的のために分裂や葛藤を使って決断しない言い訳にしているのだと見なすこともできるという。

どこか自分の目指すところがあるが、その目標と逆の方向に現状に対する不断の抑止力がある。人は変わる決心をしたくないから、変わらないことを目的として生きている。しかし、変わるという決断をしたならば、人は変われる。

人間は、外部環境や遺伝などの要因によって受動的に決定される存在なのではなく、自己決定性があるのだという。怒りという感情などについても、それは何か目的を果たすために表出しているものだとする。

人は、自分自身のライフスタイル(考え方や行動、生き方・自己・信念に関する信念体系)を、変更可能なものとして持っている。性格やパーソナリティと言うと固定的な印象を受けるが、これは個人が決めることができる。もちろん遺伝や家族、コミュニティなどもライフスタイルに影響するのだが、それを受けて主体的に決定をするのは紛れもない自分自身である。

ライフスタイルを維持するか、変容させるかというのは、自分自身で主体的に決断することができる。

また、人が主体的に運命を受け入れ、目的に向かっていくために、勇気づけが必要なのだという。横の関係性を作り、それぞれがそれぞれを鼓舞することである。

支配や操作の目的ではなく、相互の尊敬に支えられた共感的な関係の中で、困難を克服する活力を与えることを目指す。

否定的な側面ばかりを指摘する、相手の未達成で完全でない部分に目を向ける、人格を無視する、などといったことが、勇気づけの反対「勇気くじき」である。勇気づけは、肯定的な側面を指摘し、達成できている箇所を見て、人格を尊敬する。自分自身に対してもこのような態度を取ることが必要だ。

また、アドラー心理学では自分自身を受容(欠点もみずからの一部として認める)し、尊重し、その上で他者に対して無条件の信頼を寄せ、他者や共同体への貢献をすることを重要視する。

というように、アドラーの考え方は、かなりフロイトやユングとは別物だと感じる。個人的に、元気な人が前を向くために必要な哲学な気がする。


ところで、精神分析・認知行動療法・来談者中心療法が心理療法での三つの流れとされている。

フロイト、ユングを見てきたものと、それが発展したのが精神分析。
認知行動療法は行動主義心理学(刺激と行動のパターンから科学的に心を見つめた心理学)から、認知へのアプローチ(不適応的な考え方の修正などで症状を改善)まで発展したもの。
来談者中心療法は、カウンセリングの姿勢として現在の日本でも主流となっている技法・考え方。

※以下『カウンセリングの理論』から

簡単に紹介すると、元々の行動療法は、精神分析療法や来談者中心療法の立場から見ると、対症療法と言える。目で見える測定可能な症状は、目で見えない何らかの心理状態に起因しているはずなので、それを伝統的心理療法では考える。しかし、行動療法は違う。

人間観としては、精神分析のように本能(エス)としての欲求があるとか考えずに、心は白紙の状態なのだと考える。環境によって行動が決定されると考える。環境に対して学習することで、行動が変容するのだとする。

大学で習う心理学でメインで聞いたことがあるような用語が、行動主義の理論と関わりが深い。

イヌに餌を与えると唾液が出る、というような反応を条件反射理論と言う。条件づけというのは、本来欲求を充足させてくれない刺激(例:ベルの音)で欲求充足(例:エサを食べたと同じ状態になる、つまり唾液を出す)をすることとした。これは、現在では欲求が高揚していると考える。刺激に対する反応で、人間の心を捉えようとするのである。

イヌにベルの音と餌を結びつけさせて、欲求の高まりを条件づけする、みたいなことを「レスポンデント(古典的)条件づけ」と言う。創始者はパヴロフ。

ここで、どのようにすれば欲求を充足できるのかということを「学習」するかが考えられる。オペラント(道具的)条件づけは、欲求充足のための「道具(手段)」として、行動が行なわれるものである。これは、なにか刺激があるためにそれに反応して行動が起こるというものではなく、自発的・自主的に動くという意味になる。

ロジャーズ理論では、自己一致の人間像を理想としていた。精神分析では無意識が意識化されている人間像を理想としていた。アドラーは運命を受け入れ自己決定性を発揮する人間を理想とした。

行動療法では、病理的症状のない人間が理想像である。カウンセリングでの使い方としては、恐怖症や拒食、登校拒否、夜尿、夫婦げんかなどのない人間を目指す。

このような、人間の行動(反応)を束として捉え、それを性格と捉える。反応の習慣化したものの束が人間である。なので、後天的に再学習なり、学習をほどくことなどをすれば、人の行動や性格(反応の束)なども変わると考える。

特性・因子理論という心理テストを用いたカウンセリングの基礎理論では、性格特性についても考えるが、行動主義は考えない。

少しだけ具体的な行動療法の手法を紹介すると、リラクセーション的なものがある。

以下は、古典的(レスポンデント)条件づけを元にした手法で、生活において感情や態度に問題を抱えているとき改めて適応的な学習をするためのものだ。

脱感作法のうちの「自律訓練法」を用いて、高所(刺激)が怖い(反応)という人に対して、身体をリラックスさせて感情をリラックスさせることで、その反応としての恐怖・緊張を(1階から徐々に3階へと上がって)鎮める方法がある。

恐怖・緊張・不安という反応を改善するために、「主張訓練」という手法などもある。気の弱い教師が苦しんでいるが、これに対して生徒になめられないように心のなかで、あるいは声に出して自己の主張をできるようにしたり。といった感じで克服することを目指す。

性的反応法、情動心像法などもある。

一方、道具的(オペラント)条件づけを元にした手法では、報酬(刺激)を期待するために行為が形成されるという考え方で、行動変容のために意図的に報酬を与えることをする。

強化法では、いやいやながらも何かをした人に段階を追って褒め言葉を与える。また、行動のすぐ後にフィードバック・報酬を与える。

思考停止法では、強迫観念ともいえる不安に対して、「ストップ!」とセラピストが声をかけたり、本人が同じようにしたり、あるいは楽しいことを思い出してそれに注意を集中したりする。また思い出しそうになると「ストップ!」と自分に言い聞かせる。

嫌悪療法では、やめられないものに対して嫌だと思うものを結びつけることで、罰を与え回避学習をさせる。飲酒時に吐き気を催す薬を服用させるなど。

消去法では、相手がお世辞を言っても知らぬ顔をしていると、だんだんお世辞を言わなくなるというようなアプローチ。刺激に対する反応をなくし、消去するやり方。

また、行動カウンセリングの中では、

例えば夫婦の不和の原因をコミュニケーションがないことだと考えて、それを解消するための目標を決める。1日に1回だけ質問をするなど。これを日記風のレポートにしてもらってフィードバックをする。

ロールプレイ・強化法では、何かの場面の練習・リハーサルを行なうことで問題を解消する。

他にも、行動契約法、強化法、モデル提示法、知的認識法、模擬練習法、計画・決定法、問答式問題解決法、コンフロンテーションまたは対決法などがある。

ここまで行動療法、行動主義について見てきたが、改めて言うと「症状の除去」を目標としているアプローチである。

精神分析や来談者中心療法はパーソナリティの変容に多大の関心がある。パーソナリティ(精神分析なら無意識下の抑圧、来談者中心療法なら自己イメージと実際の行動・体験が一致していない状態)が症状に出てきていると考えるからだ。対して、行動療法は症状にアプローチする。

症状が除去されるとパーソナリティも変わる、ということも多いので、行動療法の有用さが発揮される場面がある。精神分析や来談者中心療法は、無意識下でのしこりがほどけることを目指すので、治療するときには相手を「洞察」しようとする療法である。それに気づくことで、問題(症状)も解けると考える。しかしながら、それではアプローチできない問題がある。それに、行動療法は対処できる可能性がある。

ゲシュタルト療法、交流分析なども紹介したいけれども、ここでは紹介しない。


最後に、行動療法が認知療法と合わさった、認知行動療法について。これは今最も盛んに使われている療法らしい。

といっても、認知を変える認知療法と、先ほどの行動療法のアプローチを合わせて行なうものだと思えばいい。

アルバート・エリスのABC理論で考えてみよう。

エリスは、精神分析、行動主義、その他の影響を受けて「論理療法」をつくった。

先ほどの行動療法の、刺激から反応が生まれるという考え方の間に、その人が「どんな受け取り方をするのか」という段階を挟む、ABC理論というものを前提として置いている。

そして、その「受け取り方」においてまともな受け取り方をラショナル・ビリーフ(合理的な信念)、おかしな受け取り方をイラショナル・ビリーフ(非合理的な信念)と呼ぶ。

イラショナル・ビリーフは、~でなければならないという信念から構成されていることが多い。視野が狭いので、不満が多くなる。柔軟性に欠ける考え方が、症状に繋がる。また、どうしようもならないこと、何も変えられない事実であるのに、それに対して取り越し苦労することも特徴としてある。

例えば、人間は全ての人に愛されるべきであるとか、自分は完璧でなければいけないとか、すべて過去や環境のせいだと思うとか、人に非難されたから自分はダメ人間であると思うとか、そのようなビリーフを持っていると、神経症傾向になるという。

論理的にここを修正しようとするアプローチが、論理療法だ。

これが、認知行動療法のルーツとなっている。

ところで、現代の形での認知行動療法やマインドフルネスに興味があったら、精神科医YouTuberの益田裕介さんの動画を見てみてほしい。ざっと根本になっている心理学の大雑把過ぎる概要は、以上である。心理学とカウンセリング理論の話をかなりごちゃっと混ぜて書いてしまったので、分かりにくいかもしれなく申し訳ない。

認知行動療法は有名なので改めて説明する必要もないかもしれません。 カウンセリングの一種の技法で、自分の感情を書き出して客観視し、自分はこういう考え方をするんだな、こういう風な人間なんだな、ということを理解した上で行動を変えてあげる、というものです。

行動の変え方も、無意識だと変な行動を取ってしまうので、自分でこういうルールにしよう、こういうときはこうしようと決めて計画通りにやっていくというやり方をします。 前者の、自分はこういう認知なんだ、こういう風な考え方をしているからこれは変えていこうというのは「認知療法」と言ったりします。

自分はふとこういう行動をとりがちだ、いつも夜疲れているとコンビニに寄ってしまう、コンビニに寄ったら絶対にお酒を買ってしまう、その結果飲み過ぎてしまうということであれば、「帰るときには絶対にコンビニには寄らない」と決めるのは「行動療法」です。

その結果お酒を飲む量が減るというのが行動療法です。 この認知療法と行動療法を合わせたものを「認知行動療法」と言います。 認知行動療法をスムーズに、自分ひとりでもできるように作ったものが、認知行動療法のワーク・ブックです。

ワーク・ブックをすることで、自分の気持ちを書き出すことでスッキリする効果、自分の気持ちを書き出すことで客観視して自分の認知の歪みに気付くことができる効果があります。 また実際に11回のプログラムをやってみることで認知行動療法や心理学の考え方が身に付くので、客観視できるようになったりします。

ワーク・ブックでできないこととしては、ワーク・ブックだけではカウンセラーとの関係性がないので、自分を肯定してもらうとか愛情を感じる力は身に付きません。 もっと深く理解する、もっと深く行動を変えていくということは弱いです。 自分でやっていてもカウンセリングには劣ります。 ですが、手軽ですし、このワーク・ブックは僕が作ったもので無料なので良いのではないかと思います。

上記YouTube動画の引用

失念していました。ロジャーズの来談者中心療法のことを書くのを忘れていました。とても重要な考え方なので、以下に参考の記事を貼っておきます。

この辺りのロジャーズの話を参考にしてみてほしいです。カウンセリングの基礎となる来談者中心療法の姿勢、自己一致、自己実現など、ロジャーズがどんな考えを持っていたのかが少し分かると思います。


みんなのための心理学から、あなたが使える心理学へ

まとめ(整理されている)

ここからは、今までの全てを統合的に見てどうアプローチできるかということを考える。というのも、今回は自己実現と幸福の心理学という副題をつけているから、それにそぐう形で見事にまとめあげたものを発表したい。

以下はその図解(手書き)だ。


「心理学・幸福のための統合アプローチ」
オレンジ色:心理学理論の人名や人間性心理学の重要部分など
黒色:主要な内容(特に下部と上部が重要)
赤:客観的な現実世界
青:問題がある状態を4つに分け、それぞれアプローチできるように
緑色:自己実現・成長しながら生活するための核となる部分

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