「円谷特撮のサイズや構図は、本物の怪獣がいたらこう撮れるだろう、全身は簡単には撮れないだろう……という、撮影者のドキュメンタルな姿勢から生まれたものだ」(池田憲章/『特撮円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』)。 円谷特撮の「アングル」は撮影者の「ドキュメンタルな姿勢」から生まれている。怪獣が本当にいたとしたら、周囲にどのような「影響」を及ぼすか。1956年の『空の大怪獣ラドン』では、ラドンの都市破壊が記録映画手法によって描かれた。 「その翼が産み出す衝撃波=ソニックブ
2024年11月8日〈金〉、日本テレビで『トップガン』(1986年)をオンエア。ドラマ(喜怒哀楽)にこだわる日本映画は当時、とかく「暗い」と言われがちだった。だが、トニー・スコット監督の演出には邦画のような湿った感じが一切ない。その「明るさ」はアメリカ映画に共通のイメージでもあった。 日本映画の「暗さ」は、たとえば1985年のお正月映画『ゴジラ』(1984年)に端的に現れている。同情の対象としてのゴジラに、ファンは失望を感じざるを得なかった。現代の観客が求めているのはハリ
「なによりも僕は戦争映画が好きだから、戦争をベースにしながらSF的な世界観を描く、この『地球防衛軍』のスタイルにこそ表現者として憧れを感じるね」(川北紘一/『別冊映画秘宝 東宝特撮総進撃』)。 川北紘一が憧れた『地球防衛軍』(1957年)のスタイルとは、「現実の兵器と架空の兵器とが渾然一体となってスクリーンに登場し、空想性の強い光線やメカに強烈なリアリティが宿る」というものだった。「架空の兵器」しか出てこない後半部分に対しては「ちょっと退屈かなぁ」。「SF的な世界観」が強
「物語は長崎の造船所に技師として来日しているフランス人マルサック、彼のあとを追って日本にきた典型的なパリ女フランソワーズ、それに両親の死後も女手ひとつで呉服屋を営む日本娘乃里子の三者がからみあう天然色のラブ・ストーリー。シアンピ監督は日本と西欧の対比を心理的な面で追及、あわせて日本滞在五ヵ月間に感じたものを一切とりいれて、ネオリアリズムの手法で一九五六年の日本を表現してみたいと意気ごんでいる」(毎日新聞夕刊1956年4月10日〈火〉)。 1956年の日仏合作メロドラマ『忘
角川シネマコレクションで『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)を2週間限定公開。 「ガメラとギャオスの戦いを三度描き、舞台も陸、海、空とさまざまに移り変わり、内容的にも濃く、ガメラシリーズの最高傑作との声も高い」(『大特撮 日本特撮映画史』)。 「ガメラシリーズの最高傑作」とも言われる本作は、日本映画輸出振興協会からの融資で作られた。製作費は1億9千万円で当時の怪獣映画では最高額。ただし大映の場合、大半は社員のボーナス資金に使われ、現場にはほとんど回って来な
後期必殺の演出を手がけた山根成之監督は、日活の鈴木清順監督の「影響」を受けているという。自称「日本のヒッチコック」というだけあって、山根演出は技巧にこだわったものとなっている。デビュー作は1968年の『復讐の歌が聞える』。貞永方久との共同監督で、山根はドラマパートを担当。『復讐の歌が聞える』は特撮映画よろしく、ドラマパートと殺人パートに分かれて撮影が行なわれた。原作と脚本が石原慎太郎ということで、日活アクションのテイストも漂う。山根監督は1970年代には松竹青春映画の旗手と
「水の抵抗のあるモーターボートの、しかも小型エンジンでこれだけの馬力が出せるということは驚くべきことなんだよ」(『星と俺とできめたんだ』・1965年)。 水の抵抗を受けながら、猛スピードで進むモーターボート。そのイメージは「五社協定」の抵抗に遭っていた新生日活の姿に重なる。 「当時、日活撮影所は、既存映画会社による「五社協定」の抵抗に遭いながら、他の映画各社から監督、スタッフ、俳優を集めて製作を開始していた」(松本平/『日活昭和青春記』)。 1942年。日活は戦時企業
「画面で見ると爽快感がない。猫がねずみをいたぶっているように見えるのである。どんな極悪人でも、そのシーンになると、なぜかかわいそうになってしまう」(山内久司/「仕置人始末」)。 『必殺仕置人』(1973年)での「生かさず殺さず、死以上の苦しみを与える」という新趣向は、「爽快感がない」という理由で変更となった。末期必殺の主水イビリも、そのシーンになると何故か可哀想になってしまう。スタッフが主水を「いたぶっているように見えるのである」。 「主水の降格もついに百軒長屋の出張番
『必殺ワイド・新春 久しぶり! 主水、夢の初仕事 悪人チェック!!』(1988年) 必殺ワイド第10弾。『剣劇人』で「古い」と言われ、『大老殺し』で「いるところ」がなくなった仕事人・中村主水。今作ではとうとう、俳優・藤田まことが演じる架空のキャラクターということになってしまう。 この時期の必殺は作り手が主水を明らかに扱いかねており、幻の企画『TANTAN狸御殿に恋が散る』では、主水は完全な脇役となっていた。どこにも「いるところ」がない男は、果たしてどこへ向かうのか?
日活映画における「特殊技術」は通常、「合成」のことを指す。日活ではこの「合成」を金田啓治が手がけていた。金田の「特殊技術」について、竹内博はこう説明している。 「いわゆる大じかけの特撮映画と違い、一本の映画の中にさりげなく数カット使用されているケースが多い。例えば窓外の月を合成で入れこんだり、セット内に建てた一階家を作画合成で二階家に見せたりとか」(『元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年』)。 金田の「合成」で多いのは、離れた場所にいるヒトやモノをひとつのフレームに収め
「ちなみにどちらの映画でも、自衛隊がゴジラによって壊滅させられたというのに、在日米軍は全く登場しない。日米安保条約はどうなったのかということも注目されるべきであろう」(佐藤健志/『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』)。 不在の「在日米軍」に言及した佐藤健志のイデオロギー論は、同時代の作り手に少なからず「影響」を与えた。日本が怪獣に襲われた時、同盟国であるアメリカはどう動くのか? 2023年の『ゴジラ-1.0』では、アメリカが「軍事的関与」を行えない中、民間人がゴジラ対策に
『新必殺仕事人』第26話「主水 仮病休みする」 鯉盗っ人の罪を秀になすりつけようとする島本。勇次が糸を投げるカットを横からのアングルで見せるのは珍しい。本エピソードでは南町奉行所や中村家のセットも横構図で撮られている。監督は日活出身の松尾昭典。 「裕次郎の魅力は、すでにくり返し書いたように、年と共に役柄の設定が変ったとはいえ、つねに彼自身の自己を脅かすものに対して闘う姿勢にあるのだ」(渡辺武信/『日活アクションの華麗な世界』)。 島本にハメられ、下手人に仕立てられた秀
1978年。TBSの『日曜★特バン 輝け!テレビ怪獣SF映画25年』で『大巨獣ガッパ』(1967年)のフッテージが紹介された。ガッパの熱海襲撃場面に強烈な衝撃を受けたことを今でも憶えている。その翌年、地元のテレビ局が第3次怪獣ブームに合わせて怪獣映画を特集。その中の1本として『ガッパ』がオンエアされた。全篇に漂う暗黒映画のようなムード。他社の怪獣映画とは違う何かを感じさせた。 「昭和三五年(一九六〇年)ごろ、小林旭の〈渡り鳥〉または〈流れ者〉のあらわれるところに、必ず、
東映シアターオンラインで『十一人の賊軍』公開記念として『大日本帝国』(1982年)を特別配信。監督は劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)の舛田利雄。 「『宇宙戦艦ヤマト』は「日本の立場を枢軸国側から連合国側に移した第二次大戦の物語」なのだ」(佐藤健志/『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』)。 終末論の流行を背景に、よみうりテレビで放送されたSFアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)。第二次大戦を模したその物語は、「ヤマト」=「連合国側」という図式に沿って組み立てられて
「戦争が始まったときの日本の政治家や庶民たちの反応は、八住脚本では善意の弱者ばかり登場して、悪人はほとんど現われない」(大伴昌司/『世界SF映画大鑑』)。 『世界大戦争』(1961年)の登場人物は善意の弱者ばかりで構成。大伴昌司はこれをリアリズムの観点から疑問視している。 「SFは飛躍した世界と飛躍の面白さをたのしむものだ。だが、それを映像化する場合は慎重な考慮が必要で、飛躍の程度をしめすための基礎ともなる現実の世界を、よりノーマルな状態で描いておかないと、イメージのひ
2024年10月27日〈日〉、東京MXで『必殺仕事人ワイド 大老殺し 下田港の殺し技 珍プレー好プレー・唐人お吉も登場』(1987年10月2日)をオンエア。本作は何でも屋の加代のシリーズ復帰作ともなっている。 「いずれは捕まるか、殺されるか。とうとういるところがなくなりましたね?」。 1987年の『必殺剣劇人』で連続ドラマ枠の必殺は終了。シリーズは年数回のワイドとして継続していくこととなった。そのパイロットと言える『大老殺し』で、主水は最後には「いるところ」がなくなって