日活ニュー・アクションから東宝特撮へ
「人斬り五郎を主人公とする“無頼”シリーズは、こうした追いつめられた個のイメージを提示することによって日活ニュー・アクションの時代の幕を開いたのである」(渡辺武信/『日活アクションの華麗な世界』)。
1984年の復活『ゴジラ』は脚本を日活ニュー・アクションで活躍した永原秀一が手がけている。ここでのゴジラは存在を主張することさえ許されない「追いつめられた個のイメージ」で描かれており、映画の後半ではそんな彼がいかにして自らを存在させていくかがテーマとなっていく。
「ゴジラよ悪に徹しなければならぬ。悪の権化となれ。決してその目に悲しみの色を湛えてはならぬ。三原山の火口奥深く没したお前の鳴き声は、故郷へ還る歓喜の叫び声でなければならない」(橋本幸治/『ゴジラ』劇場用パンフレット)。
渡辺武信によると、日活ニュー・アクションの特質は「暴力の直接的描写」が「追いつめられた個のぎりぎりの表現」となっている点にある。新宿という巨大な「檻」を破壊したゴジラは、最後は三原山の「安眠できる世界」へと還っていく。火口奥深く落ちていく姿は、自ら「生理的苦痛」を求めているようにも見えた。
「そこには自己を奪回するというような形の観念的思考による意味づけはないが、自己は生理的苦痛を通して辛うじて確認されることになる」(渡辺武信/『日活アクションの華麗な世界』)。
復活『ゴジラ』の企画は「汚れた主役」が支持された1970年代にスタート。橋本監督は反核については前面に出さず、あくまで娯楽作品として楽しんで貰うというスタンスで映画に取り組んだ。暗さに満ちた内容は時代の「影響」も大きい。