映画監督山根成之

 後期必殺の演出を手がけた山根成之監督は、日活の鈴木清順監督の「影響」を受けているという。自称「日本のヒッチコック」というだけあって、山根演出は技巧にこだわったものとなっている。デビュー作は1968年の『復讐の歌が聞える』。貞永方久との共同監督で、山根はドラマパートを担当。『復讐の歌が聞える』は特撮映画よろしく、ドラマパートと殺人パートに分かれて撮影が行なわれた。原作と脚本が石原慎太郎ということで、日活アクションのテイストも漂う。山根監督は1970年代には松竹青春映画の旗手として活躍した。 

モノクロの画面に真っ赤な血のり。『愛と誠』(1974年)より、光学技術を駆使した演出。
『愛と誠』より、鈴木清順監督の影響を感じさせる場面。誠が愛の傘を奪うと、背景が赤一色に変わる。

 千葉県成田市を舞台にした『おれの行く道』(1975年)。山根が描くニッポンでは、若者と老人が「一種のなれあい」で生きている。

『おれの行く道』(1975年)

 「人間はこの世に生まれてきた以上、何か意味があるのよ。あなただって私だって、こうやって生きてるのは何か意味があるからなのよ。それを見つけなくちゃ」。 
 『突然、嵐のように』(1977年)。生きている「意味」を求める21歳の青春を描く。
 「理由はないの。ただそういう占いが出てるだけなんだから」。
 あらゆるものから切り離された日出男と由紀。「理由」のない青春は何をやっても長続きしない。やがて由紀が妊娠する。出産を巡って対立した二人は──。

 「俺って人間は何かが欠けてるんです。欠陥人間っていうのかな? つまり、ひとつのことをとことん突き詰めてやることが出来ないワケよ」。
 何をやっても中途半端という「欠陥人間」の生き様を描いた『ダブル・クラッチ』(1978年)。 劇中で彰彦が乗る車は「日本で初めての四輪駆動」スバルレオーネ。クライマックスでは悪路走破性能を発揮して、甲府の峠を駆け抜ける。
 「ダブル・クラッチ」とはスムースなシフティングのためにクラッチを「続けて踏む」ことを指す。「欠陥人間」の彰彦は、それを難しいことと感じている。長続きしない青春の日々を山根監督は描き続けた。

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