末期必殺論(その2)
「画面で見ると爽快感がない。猫がねずみをいたぶっているように見えるのである。どんな極悪人でも、そのシーンになると、なぜかかわいそうになってしまう」(山内久司/「仕置人始末」)。
『必殺仕置人』(1973年)での「生かさず殺さず、死以上の苦しみを与える」という新趣向は、「爽快感がない」という理由で変更となった。末期必殺の主水イビリも、そのシーンになると何故か可哀想になってしまう。スタッフが主水を「いたぶっているように見えるのである」。
「主水の降格もついに百軒長屋の出張番屋詰役人まで落ち、左遷もさらに磨きがかかったが、番組のトーンダウンにさらに拍車をかけるような設定はマイナスな要素だったのかもしれない」(『必殺15年の歩み』)。
百軒長屋に島流しになるなど、どこにも「いるところ」がない末期の主水。『悪人チェック!!』に至っては、遂に虚構の存在ということになってしまう。『旋風編』以降の作品は総じて「爽快感」に欠ける嫌いがあった。だが、年数回のワイド(スペシャル)はやがて、馬面の役人を労るような内容に変化していく。1991年には『必殺仕事人・激突!』でシリーズ復活。初瀬と絡む時の主水は、これまでになく楽しそうに見えた。