角川シネマコレクションで『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)を2週間限定公開

 角川シネマコレクションで『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)を2週間限定公開。

 「ガメラとギャオスの戦いを三度描き、舞台も陸、海、空とさまざまに移り変わり、内容的にも濃く、ガメラシリーズの最高傑作との声も高い」(『大特撮 日本特撮映画史』)。
 「ガメラシリーズの最高傑作」とも言われる本作は、日本映画輸出振興協会からの融資で作られた。製作費は1億9千万円で当時の怪獣映画では最高額。ただし大映の場合、大半は社員のボーナス資金に使われ、現場にはほとんど回って来なかったという。
 「ガメラ映画をアメリカに輸出するという名目で、まんまと政府から金を借りた。が、ガメラの製作費には殆ど回ってこなかった──」(高橋二三/『ガメラ・クロニクル』)。
 監督の湯浅憲明は『ギャオス』の製作費をABCランクの「Aに近い予算」(『巨大特撮大全集』)と証言している。「超Aランク」と言われた『バルゴン』が7千4百万円なので、『ギャオス』の実際の製作費は少なくともそれ以下ということになる。

トリ足ギャオス

 「バルゴンの特撮シーンは、人間が中に入っているのを感じさせないように、足をなんとか隠そう、隠そうとして撮ったんです」(湯浅憲明/『ガメラ・クロニクル』)。
 着ぐるみ手法の怪獣はどうしても外観が人間に似てくる。大映怪獣は足を隠す、或るいは頭を大きくするなどして、中の演者を意識させないようにした。ギャオスの場合、飛行時には下半身が逆関節のトリ足に変形。怪獣も動物であるということは演出面でも強調されている。
 「当時、僕としては“ゴジラ”でも“ウルトラマン”でも怪獣が立ち上がっているのが凄く不満でした。動物なんだから、立ち上がるのは最後の最後、怒りが爆発したときなんですね。だからガメラはなるべく這わせました」(湯浅憲明/『日本特撮・幻想映画全集』)。
 「立ち上がるのは最後の最後、怒りが爆発したとき」。着ぐるみによる内面描写は大映怪獣の特色となった。生え揃った足につらら状の岩が落ちる場面では、ギャオスが痛そうに目を閉じる。特撮監督は本篇監督の湯浅憲明が兼任。
 「ラドンでも見られたソニックブームによる“見えない破壊”の描写には、今一歩、力不足が感じられた。アップやロングのカメラワークも、ただギャオスを中心としていただけなのである」(『大特撮 日本特撮映画史』)。
 『ギャオス』のミニチュアワークは東宝と違って、衝撃波による破壊描写にはそれほど力が入っていない。無駄なものは撮らない大映では、キャメラが向けられるのはギャオスを中心とした範囲に限られている。

 「大映の特撮は「雨月物語」「日蓮と蒙古大襲来」「釈迦」「鯨神」「忍びの者」などの時代劇、「風速七十五米」「氷壁」「アシヤからの飛行」などの現代劇映画とともに育ったので、特撮部分が劇部門と融和し、違和感がないのが特色だ」(『世界怪物怪獣大全集』)。
 石原興によると、大映の監督は脚本を一切変えなかったという。大映特撮は「特撮部分が劇部門と融和し、違和感がない」。すべては「作品内容」を中心に決められている。

 「『ガメラ対ギャオス』でも、東京から大阪まで高速道路を作ろうとするんだけど、土地を売るとか売らんとかでケンカするでしょ。すると、村長が自分の銭もうけのために道路作らせない、だからギャオスが怒った、てなことを子供が勝手に考えてくれる。そういう社会性が必ず入っていますよ」(永田秀雅/『大怪獣ガメラ秘蔵写真集』)。
 大映は戦時下の企業統合によって日活の製作部門を継承。ガメラ映画に見られる「社会性」は、旧日活の「文芸路線」を引き継ぐものでもある。クライマックスではひとりぼっちになった村長のために、ガメラが命を懸けてギャオスと戦う。けれども、その戦いは当の金丸からは決して感謝されることはないのだった──脚本は『悲しき60才』(1961年)の高橋二三。無償の愛を「テーマ」とする本作は、技術論(=見た目論)では完全に過去のものとなってしまったが、本質の部分は今なお古びていない。

   


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