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何人かのひと、例えば友だち、に自分は誰にも分かってもらえていないような気がすると話した…
SNS、特にTwitterみたいなミニブログ形式のものでは、“言及”をしないように気をつけている。…
麺類をすすれる人とすすれない人がいるよね、という話をした。わたしはすすれない方の人だ。…
noteには何度か書いているけれど、わたしは子どもを持たないつもりだ。たぶん結婚もしないけ…
偏見は良くない。そうですね。しかし、生きている以上、「〇〇というカテゴリの人は××とい…
他の人の事情なんて考えてる余裕ない。特に心の病気なんて目に見えないから分からない。 …
振り返ると、親にされた今までのことをひとつひとつエピソードとして書き出してみても、何か小さなことのように思える。今も覚えているくらい辛い仕打ちだったはずなのに。 たぶんそれは、あの時感じていた空気から切り離されているからだろう。何を感じて生きていたのか、当時と同じように感じることはもうできない。 日々怒鳴られるかもしれないと怯えていた。そこに、なにか「頼みごと」をされても、それはわたしにとって強制だ。ちょっとした家事の手伝いだって、断れない状況でそうされたらストレス
わたしは小さいときからずっと不安がっていた。先生に怒られたらどうしよう。友達に嫌な思い…
世界が平和になりますように、みんなが幸せになりますように。子どもの頃から、何かお祈りを…
わたしはそれなりに恵まれていると思う。家庭環境は悪かったにしろ、教育に関しては際限なく…
障害者への合理的配慮、というものがある。法律にも決められていて、来年度からは義務化され…
ついうっかり高校同期と会う約束をしてしまったからお昼ご飯だけ食べて帰ってきた。ドタキャ…
この前電車に乗っていると小学校高学年と思しき子どもたちの会話が聞こえてきた。 「理科…
わたしは弱い、と自分では思っている。すぐに傷つく。すぐに泣く。すぐ不安になって、すぐ投げ出したくなる。 同時に、そんな自分を必死に隠している自分がいる。親の前でも先生の前でも、バイト先の上司、友達、果ては主治医やカウンセラーさんの前まで。 人に頼れない、とか出来ないと言えない、とか人を信じられない、という話を何度も書いてきた。その中で、まず「出来ません」と言えないからそれをすっ飛ばして、なんとか「これやってください」と言い、そうして言われた相手は「なぜ出来るはずなの