弱い自分はどこにいるんだろう
わたしは弱い、と自分では思っている。すぐに傷つく。すぐに泣く。すぐ不安になって、すぐ投げ出したくなる。
同時に、そんな自分を必死に隠している自分がいる。親の前でも先生の前でも、バイト先の上司、友達、果ては主治医やカウンセラーさんの前まで。
人に頼れない、とか出来ないと言えない、とか人を信じられない、という話を何度も書いてきた。その中で、まず「出来ません」と言えないからそれをすっ飛ばして、なんとか「これやってください」と言い、そうして言われた相手は「なぜ出来るはずなのに頼まれているんだろう?(押し付け?)」と思って断り、そして断られたわたしは人を信じられなくなる……という負のループを繰り返しているんじゃないかと思った。
わたしはなぜか何でもできると思われやすい。たぶん弱い自分を見せないからだろう。「優秀なんだね」という言葉とともに、だから手を煩わせないよね、ひとりで軽々と出来るよね、という無言の期待を感じる。だから優秀だなんて言葉は大っ嫌いだ。
まず、弱い自分がいるということを否定しない。別に否定していない、落ち込んだり泣いたりする自分は事実だもの。と思うと同時に、それを悪いと心のどこかで思っている。だからどんな場所でもそれを表に出さないのだと思う。外なら頑張って涙を堪える。落ち込んでいても話しかけられたら笑顔で返事をする。そんなふうに。
じゃあ、どうやって弱い自分を表に出せるんだろう?例えばうつ病だということを伝える。それは何度かしたことがある。けれどその時もやっぱり、外向けの「元気そうな顔」を見せながら伝えた。だからたぶん、とても重い訳じゃないと思われただろう。
そうしたら、深刻な顔で伝える?それも何だかしっくりこない。大事な話ではあるけれど、それだと逆に弱い自分は重大な問題なんだというメッセージを発してしまいそうだ。
なんとなく思ったのは、「うつで出来るかどうか分からない」「いまは元気だけど、明日どうかは分からない」ということを伝えられたらいいのかなと思った。うつだ、とは伝えても、それとセットでだから〇〇はできない、と言ったことはなかったと思う。うつとはいっても症状に波があって、できるときとできないときがあり、弱い自分を隠したいわたしは(一応嘘ではないし)できます、と言ってしまいがちだから。
それにうつが酷くて休む時も「体調不良で」と誤魔化していた。相手に勘づいてくれと思っている訳だけれど、察してもらおうとするのは良くない。それに、うつを隠すことでうつである弱い自分を認めない、ということに繋がる。
だから、人に頼りましょう、とか人を信じましょう、というより前に、事実を伝えましょう、という目標の方がいい。うつで動けない日がある。それは単に事実だ。伝えた相手によって色々な反応があると思うけれど、事実を伝えただけだから、その反応によって自分の内面に入り込まれるわけじゃない。もちろん傷つく可能性もあるけれど、人に頼ったときよりも冷静になれると思う。ただ事実を伝えただけで怒る人はおかしい、といように。
なんだか踏み出す一歩の方向が違っていたみたい。それか数段飛ばして進もうとしていたみたい。ただ、事実を伝えられるようになる。簡単そうに見えてわたしには少し難しいそんなことを、これからの目標にしたいと思う。