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ありがたい人と優しさと運と

言い出すとキリがないくらい、
とても私の手には負えない事情の割を食うことが子供の頃から多かった。

一般的には、味方であることが"普通"とされる関係性の人が脅威であり、私を嵌めるだったことも割とよくあった。

その代わり、本当に運が良く、人にもタイミングにも恵まれてきた。

そのお陰で、絶望を憶えた幾つかの体験が私の人生に自信を与えてくれた。

特に、うつになって休職した5ヶ月は尚更だった。
"気付き"と"転換期"、そして、"贈り物"と呼べる私の人生で特別な想い出になった。

急にこんなことを書き始めたのは、なんてことはない。

数日前、嫌なことがあった。
割とありふれたことだけど、とても悲しかった。

そんなときに、話を聞いてくれる人達がいた。
オンラインの世界で通りすがりの人、長く交流している人、
リアルの世界の友人、先輩。

本当にありがたかったし、優しさが心に沁みた。

実家という繋がりを諦めてから、帰れるホームは自分のもとだけだと腹を括っている。

おまけに昨年、各々別のコミュニティで長く親交の深かった友人数人と、噛み合わなくなってどうしても苦しくて距離を置いた。

自分という人間は、こうやって自分を守るために孤独を選ぶことを繰り返すのか、と悲しかった。

案外そんな自分も孤独じゃないぞ、と気付いたのがここ数日の話だった。

あくまで、自分の話なので、誰かが何かをしてくれることなんてない。自分自身もそんなことは望まない。

ただ、その人になんの利益にもならないのに、
下らないといわれたらそれまでの話を聞いてくれる人や励ましてくれる人がこんなにいるのかと驚いた。

物事全般、永遠や絶対はあり得ないと思う。

それは人と人との繋がりに於いても同様に。

だけども、義理堅くありたい。
改めてそう思えた。

そう思うくらい、頂いた優しさは温かく心に沁みた。

他人に対して、常にどこか諦めていた私にその感情を思い出すことができた。
その体験をするために、数日前の嫌なことがあったのかもしれないとすら思えるようになった。

はじめの方にも書いたけど、本当に私は運がいい。

嫌なことがあって数日間毎日、
優しい人々と交流ができて、その人達も話を聞けるくらい心に余裕がある状態で。

人とタイミングに恵まれた。

ありがたいとは、有難いとかく。
元来、得難いこと、めったにないことという意味だが、まさしくだ。

本当にありがたい。


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