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テニス上達メモ088.動きたがる体になる
▶足の動きが止まらない
昨日の『テニス上達メモ』には、足を止めずに動き続けて思考が鎮まると、流れるようにプレーできると書きました。
思考が鎮まる≒集中すれば、足の動きは「止まらない」「止められない」のです。
相手から飛んで来る返球に対する集中力が高まり、打ち返された瞬間には動き始めるから、第三者から見れば「足を止めない」「動かし続けている」ように見えます。
いえ、相手から飛んで来る返球ばかりではありません。
自分の打った飛んで行くボールにも集中するから、ボールが動き続ける以上は、足は「止まらなくなる」のです。
つまりインプレー中は動き続けます。
▶移動しなくても活動している
それは昨日も述べたとおり、たとえその場を移動はしなくても、スタティック(静的)には活動を続けています。
つまり、その場でリズムを刻んだり、ステップを踏んだり。
脳からは脚に電気信号が伝わり、筋繊維は収縮と弛緩とを繰り返しているから、たとえその場にとどまって移動していなくても、躍動的と言えるのです。
こちらで述べているコーチがドタバタする様子もなく、生徒さんを相手に優雅に打ち合う話は、足を止めているという理解ではありません。
スタティックな活動だから、あたかもあまり動いていないように映ります。
▶「バンビ」とたとえられたシュテフィ・グラフ
シュテフィ・グラフの軽やかなフットワークは、「バンビ」とたとえられました。
錦織圭はジュニア時代、当時のコーチからプレー中にピョンピョン跳ぶプレーを注意されたけど、スルーしたのが、「エアK」の起源なのでした。
いえ、テニスばかりではありません。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
モハメド・アリのボクシングスタイルを形容したフレーズです。
▶動きたがる体
また、足だけではありません。
全身は連動しますから、集中すると、つられて体が躍動します。
こちらのカスタマーレビューには、打球タイミングについて「打たされる」の被害者意識でも、「打たなきゃ」の義務でも、「打つべき」の決めつけでもないと一言コメントを添えました。
ボールに集中すると「今だ!」と感じて「打ちたくなる」タイミングがあります。
それと同じように体の動きも「動かされる」の被害者意識でも「動かなきゃ」の義務でも、「動くべき」の決めつけでもなくて、ボールに集中すると「動きたくなる」。
そのように感じ始めたら、しめたものです。
▶あなたもナダルの「よっしゃー」になれる
ラファエル・ナダルは体から遠くに打たれたボールを、「走らされる」の被害者意識でも、「走らなきゃ」の義務でも、「走るべき」の決めつけでもなく、「走りたい」だから、ここまで追えます。
まさしく上記動画を紹介した『ジュニアの君へ』で述べたとおり、相手のボールが厳しいほど、「よっしゃー」なのです。
一方、ご自身がダブルスをしていると、逆サイドへ打たれた場合などを振り返って「確かに届かなかったかもしれないけど、なぜ自分はボールを追いかけさえしなかったのだろう?」などと感じることはないでしょうか?
それはボールを「追わなきゃ」「追いかけるべき」思い(思考)でプレーしていて、足が止まるからです。
「追いたい」感じ方になると、つい追いかけてしまって、ナダルのように足が止まらなくなるのです。
▶運動神経の伸ばし方
『ジュニアの君へ』の当該記事について少しさらっておくと、届きそうもないボールを、転びそうになりながらも追いかけてグッチャグチャな態勢になったとき、体はバランスやスピード、タイミングなどの運動神経を著しく発達させます。
「変な打ち方の癖がつくし、体力も温存したいから、そんなどうせ捕れないボールは賢くジャッジして、整ったフォームでだけ打ちたい」という安全思考が、そういった運動神経を伸ばす機会損失になる。
またあそこまでボールを追えば、対戦相手には「もっと厳しいコースを狙わないと、次は追いつかれてしまう」と感じさせるプレッシャーを強いることができます。
そしておまけとして、試合になるとガチガチに過緊張して上手くプレーできない人にとっては、対処療法ではあるものの、心身をほぐすトランキライザーになる点も付け加えておきます。
▶観客席へ飛び込んだわけ
ナダルはなぜ、観客席まで突っ込んだのか?
もちろん、驚かせたかったからではありません。
それは、観客席が「見えていなかった」からです。
彼の目(中心視野)にはボールしか映っていなかった。
だからボールを見送ったあと、観客席が急に視界へ入ってきたため、止まるのが間に合わなかったから飛び込みました。
中心視野で見ることのできる範囲は「細い筒を覗き込む」ほど狭く、集中するとその機能が活性化するから、対象をより鮮明に目で捉えることができるようになります。
その鮮明性が際立つほど、ぼんやりとしか見ることのできない周辺視野で捉える範囲は筒の外として「眼中にない」となる。
ですからナダルは本当に観客席がまったく見えていなかった(ボールしか見えていなかった)というのが、観客席へ飛び込んだ顛末なのでした。
▶ラケットを「ぶつけ合う」ダブルスベアは強い
あるいはダブルスで、パートナーとラケットをぶつけ合うペア。
こうなるのは下手なのではなく、上手いからそうなります。
2人とも互いにボールに集中しているから、パートナーの動きは視界に入りません。
中心視野で見る活動が活性化する一方、周辺視野で見る領域は不活化します。
ですから、ひとつのボールに向かって2人のラケットが向かうから、その結果としてインパクトでラケット同士がぶつかり合います。
ところが一般プレーヤーの場合はどうでしょう。
お互いが手を引っ込めて「あなたが打つと思った」のお見合いになるのです。
それは、こちらで述べているとおりボール以外のさまざまが、視界に入っているからです。
ボールに集中しているつもりで、またそのように心がけたとしても、「お見合い」が起こるようであれば、そのペア(プレーヤー)は集中できていないと見て取れます。
▶「やらされる」vs.「やりたい」、勝つのはどっち?
フォームや打ち方を意識していると、ナダルのような「走りたい」という感じ方にはなりません。
グラフのように「動きたい」も感じません。
「走らされる」「動かなきゃ」といった思いになります。
さてご自身は今、テニスを「やらされる」被害者意識や、「やらなきゃ」の義務や、「やるべき」の決めつけで、やっていないでしょうか?
それはやはり、フォームや打ち方を意識しているからにほかなりません。
ダイエットが「やらなきゃ」「やるべき」思いで辛くなるのは、体重やカロリーを気にするからの事情に似ています。
▶フォーム矯正は「カロリー制限」のようなもの
テニスを始めたばかりの初心者のころは、テニスを「やりたい!」だったのではないでしょうか。
それは、まだ打ち方を意識していなかったから。
フォーム矯正を、強制されていなかったからです。
だけど常識的なテニス指導を受けていると、テニスを「やらされる」「やらなきゃ」「やるべき」などと感じてしまうものなのです。
それはまるでスポーツジムへ楽しみに通い始めたのに、トレーナーに体重管理やカロリー制限を指導される事情に似ています。
▶「カロリー計算」でダイエットはできない
ちなみに、カロリー制限、カロリー計算は、体型や体重を左右する本質ではありません。
大食いで痩せている人もいれば、小食でふくよかな人もいます。
「ギャル曽根ちゃんは例外だから」と例外を認めてしまったら、それすなわち「本質ではない」証左なのでしたね。
なかには「不食」といって食べずに生きている人たちもいます。
私自身は基本的に「1日1食」で、1日の摂取カロリーにもばらつきがありますけれども、だからといって痩せもしないし太りもしません。
「1日1食」と人に話したら、驚かれたり、「倒れない?」と心配されたり、「栄養が足りなくなる」などと脅されたりする場合もありますが、「人それぞれ」のダイバーシティ(多様性)を認めてほしいと思う今日この頃です。
栄養学や医学、あるいはメディアでは、いまだに接種カロリーと消費カロリーの差分が体型や体重を決めると信じて疑わないきらいがありますが、体はそのような数字の差し引きで左右されるほど単純ではなく、もっと精緻です。
カロリー計算・カロリー制限によるダイエットなども、テニス指導と違わぬ疑ってよい常識です。
▶どうせ走るのは同じだから?
「走りたい」と感じるか、「走らされる」走らなきゃ」「走るべき」と感じるか。
「どうせ走るのだから同じなのでは?」と思われるかもしれません。
しかしこちらで述べたとおり、脳内ホルモンバランスが違うのです。
「走りたい」感じ方になるとホルモンバランスが最適化されて、運動の学習能率が上がり、パフォーマンスもアップします。
「走らされる」「走らなきゃ」「走るべき」の感じ方では、この逆になります。
まるで自ら罰走を課す「自虐」です。
被害者意識、義務感、決めつけですから、ストレスホルモン支配による辛くて苦しいイライラするテニスになりがちです。
▶罰走文化が「走る楽しみ」を奪う
仕事でも勉強でも、そうではないでしょうか。
「やりたい」と、「やらされる」「やらなきゃ」「やるべき」とでは、能率も成果の仕上がり具合も、雲泥の差となって現れるはずです。
そもそも「罰走」を強いる日本のスポーツ指導文化は、いかがなものか?
「やらされる感」の被害者意識を強め、「走る楽しみ」を奪いはしないだろうか?
▶「自逆プレー」は自己肯定感を損なう
自虐(自分をしいたげる)ですから、自己肯定感を損ないます。
そもそもテニスは「ミスするスポーツ」だから、自己肯定感を損ないやすいきらいがあるのに、自ら罰走を科して「走らされる」思いの自虐でするプレーは、辛いでしょう。
ストレスホルモンバランス優位だから、学習能率が下がる。
学習能率が下がるとミスが改まらない。
ミスが改まらないと自己肯定感を損なって、ますますストレスフルの悪循環に取り込まれてしまいかねません。
▶「やりたい」フィーリング養成の手引き
「やらなきゃ」「やるべき」「やらされる」から、「やりたい」「やりたくなる」トランスへの手引き。
これも、思考ではなく感覚です。
「やりたいと思えばいいんだな」などと頭で考えたからといって、脳内ホルモンバランスが整うわけではありません。
むしろそれだと無理やりだから、「やらされる感」が強まるでしょう。
やりたいと「感じる」フィーリングが原動力となって、具体的に私たちを動かすのです。
ではどうすれば「やりたい」と、感じられるでしょうか?
▶「集中」すれば、やりたくなる
「打たされる」から「打ちたい」へ。
「走らなきゃ」から「走りたい」へ。
「動くべき」から「動きたい」へ。
「集中」すればいいのです。
テニスでは、「ボールに集中」です。
そうすれば初心者としてテニスを始めたころ以上に、テニスを「やりたい!」と感じられるようになります。
「よっしゃー」の感覚です。
なぜなら集中すれば「楽しい」から。
集中すると「充実する」から。
足も体も止まらなくなって、流れに乗るプレーが現れます。
その場ではたとえ動いていないように見えても、スタティックにリズムを刻んだり、ステップを踏んだりするテニスが、意識しなくても始まります。
▶ハードコートに響く「キュキュキュッ」
ハードコートではプロが、「キュキュキュッ」とシューズソールでサーフェスをこするサウンドが(主観的に)心地よく響きます。
鳴らそうとするのではなく、ボールに集中すると、フットワークが自然と奏でるのです。
もちろん、鳴らそうとして足元を意識したら、ボールに集中できないから鳴りません。
いえ鳴らせたとしても「キュキュキュッ」といった小気味よいリズム感ではなく、「ズズズ、ズリ…」などといったわざとらしい騒めきになるでしょう。
とはいえ「キュキュキュッ」も、フットワークの練習時に耳を澄ませる聴覚的集中として体感するのは、有効です。
▶ナダルの「猛牛ダッシュ」
ところでどうして、バンビ、蝶、蜂?
ナダルの、コイントス後にネットからベースラインへ向かって勢いよく走り出すルーティンは「猛牛ダッシュ」と親しまれました。
なぜ牛?
自然界から学びます。
自然界の動物や昆虫は、動き方やフォームを「考えない」のです。
人間にフォームを意識させたら、「(バンビにはない)跳ねさせられる」の被害者意識が、「(蝶にはない)舞わなきゃ」の義務感が、「(蟻にはない)刺すべき」の決めつけが、人間には多くなるに違いありません。
試合開始前に、「疲れるからダッシュなんてしなくても……」などと思いそうになりますが、ナダルは「走らされる」「走らなきゃ」「走るべき」ではなくて、「走りたい」人なのです。
▶「ロマンティックが止まらない」
集中すると止まらなくなる経験は、多くの人にあると思います。
始める前までは億劫だった窓拭きなのに、いざやり始めると、やめられなくなった。
「磨かされる」「磨かなきゃ」「磨くべき」ではなく、「磨きたがる」。
隅々まで光らせて、角度を変えてみるとまた新たな発見があったりします。
そうなると、ロマンにすらなります。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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