質問125:どうしても勝ちたい試合がある。勝つためならなんでもするという覚悟もある
回答
▶人よりも早く上達する
現実に対する正確なイメージが前提として実装されているとすれば、残るポイントは、集中力です。
高い集中状態に入りさえすれば、時間はあまり関係ありません。
ほかの人よりも早く上達する人がいるのは、このためです。
テニスのレベルを一気に上げることも可能。
お便りの内容を実現しようとするならば、オンコートの練習とともに、本気で集中力を培うトレーニングをされるとよいと思います。
▶「遊び感覚」がパフォーマンスを飛躍させる
ただし本気でといっても、何も頑張ったり、努力したりするのではなく、楽しむ気持ちで。
仕事などを遊び感覚でやるなどというと、今の日本では怒られそうですけれども、楽しむ感覚こそ能率的でパフォーマンスも上がりやすく、疲れもしにくいから、長く続けられます。
ただし、遊ぶのとだらけるのは違いますので、その留意点も記します。
▶体の中を通り抜ける「風」を感じる
集中力を楽しみながら鍛錬できるのは、「坐禅」です。
頭の中の考え事をなくして、呼吸に集中します。
吸うときは空気が鼻の穴から入って鼻孔をくすぐり、喉を経て肺へ至るとお腹が膨らみます。
吐くときはお腹が縮むとともに肺から空気が押し出されて、喉から鼻の穴へと抜けていく風通しを感じます。
体は小さい「自然」。
この風が吹き抜ける「自然現象」を、大自然を目の当たりにするがごとく、楽しむのです。
▶「こんなことして何の意味があるの?」
やり方を頭で理解しても、やらなければ、一切の効果はありません。
走れば持久力が鍛えられると理解しても、走らなければ何の効果もないのと同じです。
理解ではなく、はっきりと変わる充実した実感が出てくる(生理的に脳波が整い、ホルモン状態が変わる)ように何日も続けます。
ただ、その感覚をつかむまでは、正直「こんなことして何の意味があるの?」という悶々とした思いが、しばらくは続きます。
▶2500年間継承されたトレーニング
約2500年にわたって大切に受け継がれてきたトレーニングなだけに、現代の科学的な手法に勝るとも劣らず、しかもお金もかけずにできるとあり、集中力をシステマチックに成長させていくのに非常に実践的です。
もしこれが何の効果もないただの「気休め」だったとしたら、どこかの時代で「廃れていた」ことでしょう。
いえむしろグーグル、インテルなどの有名企業が社員研修で「マインドフルネス」として取り入れるなどして熱狂的に支持されたというから、ますますその信頼性は勢いを増しています。
▶「緊張」と「弛緩」のハイバランス
まずは30分程度坐り続けられると、望ましいでしょう。
やり方の簡単な説明と、なぜそうするかの理由について。
座り方は結跏趺坐や半跏趺坐などがありますけれども(教科書はたくさんありますし、ネットでも情報収集できると思います)、それにもましていかに呼吸に集中し続けられるかの意識のあり方が大事です。
姿勢は、背筋を伸ばすようにしてください。
これは、長時間の座位および緊張感を維持するために役立ちます。
というのも、「ゾーン」や「フロー」と呼ばれる究極の集中状態は、緊張と弛緩の釣り合ったバランス感覚なのですけれども、背筋を伸ばした姿勢が緊張を保ちつつ、出入りする呼吸が弛緩を促します。
無理は禁物ですが両足を対側の腿に乗せる「結跏趺坐」は、ややもすればつらくて痛そうな印象かもしれませんが、安定した姿勢を長く続けるうえでは脚を組めさえすれば、最も楽な座り方。
たとえばおなじみの「正座」だと足がジンジンしびれて、とても長続きできません。
▶なせ坐禅で集中力が鍛えられるの?
なぜ、坐禅が集中力のトレーニングになるのでしょうか?
それはテニスではなぜ、ボールに集中できないかを顧みると分かります。
テニスで集中できない理由、それはボールが「何の変哲もないただの黄色い球」だからです。
面白くて刺激的なコンテンツ(テレビゲー厶や感動的な映画など)には、誰もが集中します。
そうではなくてテニスボールと同様、「何の変哲もない無味乾燥とした対象」の呼吸を粘り強く感じ続ける力を養うからこそ、集中力のトレーニングになるのです。
▶「逸れたら戻す」の繰り返し
実践中には、「今晩は何を食べようかな……」「30分はこんなに長かったっけ?」「タイマーが止まっているんじゃないか!」など、「刺激的な思考」が押し寄せてきます。
この押し寄せてくる思考が、ビル・ゲイツが人生で読んだ最高の5冊のうちの1冊としてチョイスした『インナーゲーム』でいう「セルフ1」。
心は刺激的でさえあれば何でも構わないとばかりに、怒りや心配事などに、ひっきりなしに飛び移ります。
これが「猿心」です。
それらの思考に意識が逸れたら、呼吸へ戻します。
心の筋肉である集中力は、「逸れたら戻す、逸れたら戻す、逸れたら戻す、逸れたら戻す」の繰り返しにより、あたかも「曲げては伸ばす、負けては伸ばす、曲げては伸ばす、曲げては伸ばす」の腕立て伏せで体の筋肉が鍛えられるがごとく、たくましくなります。
よって、「今晩は何を食べようかな……」などの思考へ意識が逸れてしまう「負荷」を、厭わないでください。
その思考は集中力を鍛えるのに役立つ「ウェイト」とたとえられます。
▶坐禅は「体育」
とはいえ、逸れっ放し(腕を伸ばしっ放し)では、なかなか鍛えられません。
逸れていることに気づいたら、逸れてしまった、戻さなきゃ、などと「考える」隙を与えず一瞬で、体の中を今も通り抜けている呼吸へ戻るようにします。
この瞬発力が心の筋肉を養成。
ですからまさに、頭で理解するのではなく、体で覚える「体育」です。
とはいえ、なかなか逸れていることに気づけず、逸れっ放しになりがちです。
それに気づく力が、こちらで紹介している「念力」というわけですね。
▶テニス人生のトレーダー分岐点で「大どんでん返し」
最初は意気込むものの、一方では最初のころに最も挫折しやすいのが坐禅です。
この一定期間をいかに気負わず、楽しみながらやり過ごせるかがテニス人生のさまざまな路線が交わるトレーダー分岐点。
集中状態を何度か経験すると、その先は入りやすくなります。
慣れないことも、慣れてしまえば抵抗感がなくなり習慣になる、そんな感じです。
そうなると、テニス開始年齢が遅い人、いわゆる大人になってからプレーし始めたレイトビギナーであっても、「大どんでん返し」を起こせます。
ジュニア時代からテニスをしているプレーヤーが確かに有利なのは、そこまで思考が及ばないから(誤解を恐れずに言えば、深く考えられないから)、大人になってから始めた人とは一線を画す傾向です。
しかし大人になってからテニスを始めても、上記のメカニズムにより、「大どんでん返し」は起こるのです。
▶来る者拒まず、去る者追わず
「度々」と前置きいただいていますけれども、問合せに一切の遠慮はご不要です。
当サイトは、他のあらゆる方法を試してみてもダメだったという方々が、最後にたどりつく最果ての地です(笑)。
来る者拒ます、去る者追わず。
「去る者は日々に疎し」という言い回しの、親しい者でも顔を合わせなくなると日が経つにつれて疎遠になっていき、また死んだ人は一日一日と忘れられていくさまは、悲しいようでいて、それが「日にち薬」の癒しなのでしょうね。
どうぞお役立ていただければと思います。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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