「ねえ、楽しかった?」何もかもが過ぎて、とうとう最初逃げ出してきた廃病院のドアが迫ってきたとき、彼女がそう尋ねた。「楽しかったよ」と私は答えた。答えながら、彼女を迎えに行く前のことを、思い出していた。 その日、私は大声で彼女を呼んでいた。ガマがたくさん生えている池を見つけたのだ。触れればほどけて夢のように綿毛が飛ぶ。彼女は急いでやって来て、木陰の蜘蛛の巣に引っかかって慌てた。乾いた日ざしが優しかった。 きっと長年の友人と言えると思う。しかし友人というのは重荷だ。自分も
船から降りたとき、かつて軋みながら回ったあのメリーゴーラウンドは、見えなかった。ただ巨大な観覧車が空を切り裂いて、こちらに倒れかかってくるかのように立っていた。丘に上っても、その印象はすぐには消えなかった。 「あ、あれ、」と彼女が指を差した。その先に、小さな円形の小屋があった。馬の鼻先の飾りが光った。あれだ。無くなってはいなかった。私たちがただ巨大な別のものにごまかされていただけだ。 丘を下り、その木造のメリーゴーラウンドに近づいた。相変わらずの古びようをして、古色とい
小さな私たちが波間に消えて、私は自分が語ったことが、彼らの求めていたことだったと知った。そして彼女もきっと求めていた。月の光はさえざえとして、これ以上ないほど硬質に見えた。 大地がぐらりと傾いた。驚いてあたりを見回すと、くじらが、その巨体で船を押してきたのだった。船の揺れるにまかせて、ハンモックやベッドが壁を突き抜けて顔を出し、壁やドアが実在の確かなものではないことを知らせた。それは以前、この灰色の荒野に私たちを連れて行った帆船だった。あの時と同じように、無人の甲板からス
気球で今まで通ってきた道をだいぶん戻り、とうとう草原が途切れて荒波が見えた。灰色の大地が荒海の冷たい水に洗われている。道がない、岩がない、砂がない、何もない、砂漠よりも漠とした、無の土地。ここは彼女との旅に初めて不満を抱き、そしてそう思ったことを悔いた場所だった。 「今は何も聞こえないんだね」と彼女が言った。同じことを思い出していた。彼女にだけ聞こえるSOSを発し、無事助け出され、輝きながら消失した2匹の蝶のことだ。いや、助けを求めていたのは、本当は蝶だけではなかった。極
涙を降らせ続けるラーの瞳に別れを告げ、揺らし続ける手たちに手を振り返して、私たちは先へ進んだ。通路は再び狭くなった。しかし今度はまっすぐ進んだり折れたりすることなく、ゆるやかな上り坂になっていた。 車椅子を押して上がれないほど急な勾配ではないが、彼女は気にして時々車椅子から降りた。その心遣いがうれしかった。 坂道はらせん状をなして徐々に上がっていき、とうとう最高地点に到達した。ピラミッドの頂点にいるはずだった。開口部から青空と金色の砂漠と、熱い風がなだれ込んだ。その開口
ふと、草原が途切れて、砂地に出た。熱い砂が風に波紋をつくり、唐突な荒涼とした景色を枯山水的に見立てさせようとしている。しかし砂だ。どこまでも遠く、空のもとに漠として、そう、砂漠といってよかった。 砂漠なのだから、ピラミッドがあった。これまた唐突に三角形の群れが立ち上がっていた。四角錐の塊は、その登場の仕方に反して大きく、重く、空気がその周囲に引き寄せられて留まっていた。私たちも強い求心力を感じた。だから引き寄せられていった。漠然とした砂地の上に、確かな人工物としてしっかと
死んだ本を離れてまもなく、夕暮れの空に花火が咲いた。薄墨色のぼんやりした空に花火は鮮やかすぎて、その色をはっきりと見ることはできなかった。しかし次第に暗く、暗くなってくる。 立って待つうちに夕暮れは黄金色を手放し、橙色を、桃色を手放して、薄墨色から群青色、闇色に移り変わる。それ自体も花火のような美しさと儚さだ。また上がった。夜の再来を祝うような花火だ。「こんなに近くで見たのは初めて!」と彼女は喜んでいる。ひゅるる、ひゅるる、と次々に花火が飛び出してくる。花火が上がっている
空の高みに、本が羽ばたいている。そんな光景は目にしたことがなかった。しかし確かに本だ。背表紙を前に、ページを開いたり閉じたりして飛翔している。表紙の彫りこみが陽に照らされて眩しい。何と書いてあるのだろう? 躍動するページの隙間から黒い斑点が見え、中にも文字が書いてあると分かる。何かの物語か、あるいは日記、メモ帳、スケッチブックの類かもしれない。 ふと、北からの風が小口をあおり、ページがバサバサと揺れながら閉じた。そのまま急速に落下していく。「追いかけよう!」さっきまで私た
膝丈のスカートが揺れた。あの夕日を思い出した。車椅子に乗る彼女に、「バイバイ」と言ったあの日を。両手を車輪に添えて、彼女は少しうつむいていた。目を上げてくれたら、もっと話をしたかった。それは私の怠慢だ。 頬を撫でる冷たい風に晩秋を感じる時、道端ではどんぐりがつぶれている。彼女はどんぐりを、つぶれる前に拾ってやれる人間だった。陳腐な比喩だ。しかし当を得ている。膝をつけば、多くのどんぐりを拾える。彼女の目に入ることができる。その物足りない顔に幸福な時間を、窒息するほど押しつけ
雪が、ふってきました。からこと、からこと、車いすのすすむ先に、雪が、いいえ、それは雲だったのです。ふかふかした、おもたい雲がたれさがって、私たちの前にさかみちをつくったのです。ふみつけると、雲の道はじゅうとしずみ、しかし確かに足を支えました。車輪は半分くらいうもれて、彼女の頭はいつもより低みにありました。 むくむくと雲がわき、木がはえ、大きな白い葉っぱが落ちてきました。指でつまむとかんたんにちぎれて、あわだちながらくずれました。あとにはしんと、涙のようなつめたさがのこりま
太陽が支配者であり、王道を照らす者であれば、今天蓋にかかっている月は、邪道をさすものだろうか。世の中に、本当は王道も邪道もない。人間の目は不確かで、一瞬にして虫のごとく狭隘な思索に落ち込むこともあれば、唐突に破られた世界のだだっ広さにほうけてしまって、救いを求めて空を仰ぐこともある。 今、2人の目は月に注がれて、遠い旅程を思っている。 来た道は、さほど遠くはない。ただ時間がかかってしまった。こんなに長旅になるつもりではなかった。道はやさしくなかったし、思いも堂々巡りに、
未完成の帆船で荒れた海を渡って、着いた先は灰色の大地だった。なめらかな地面で、岩も砂もない。泥がそのまま固まったかのようだ。車椅子を押して行くには都合がいい。音もなく歩みが続いた。本当に静かだ。植物も生えていないようだから、動物などはまったくいないのだろう。曇天の空は湿っぽい穏やかな空気を流し込んでいる。 不意に、友人が何か聞こえると言い出した。私の耳には何も届いていないのだが。そう答えると「確かに聞こえる。あっちに連れて行って。」と言う。彼女は、苦しそうな声だと続けた。
この世界では、想像すれば、あるいは想像せずとも、雨降る森や、花畑や、古びた劇場や、激しい荒波さえ現れる。突然道路から湧き出してきた海水によって、あたりはすっかり海になってしまった。友人は案外平気な顔で、半分水に沈んだ車椅子の上でランタンを掲げている。私は車椅子の取っ手を掴んでバタ足で波間を進もうとしたが、上手くいかない。ランタンが時折海水を被りながらも、なんとか炎を保ってちかちか光る。空は見る間に灰色の雲で覆い隠された。音は無く、風も吹かないが、どうやら嵐の海らしい。気を抜
夜が揺れ、朝が差し、昼が過ぎ、夕暮れが溜まり、また夜に塗り替わる。空は震えながら刻々と変化する。夢のように始まった2人の旅は、しかし、かたかたと押す車椅子の重さに、一度手を放しそうになった。自分に身を任せきっている彼女を、最初は愛おしいと思い、明るい日の下で見るその頼りなさに、次にはいくらか嫌悪した。そしてまた夕暮れが来る。 小高い丘の上に、熟した夕暮れを背負って、ドーム型のものが立っている。車椅子を彼女ごと押し上げて、私たちはそれを目の前にした。メリーゴーラウンドだった
大人数で図形を作るのが得意な三角形がいれば あまりそういうのが得意じゃない三角形もいる。 中学校に入ってすぐ、 葱の三角と麦茶の三角は出会った。 最初は友達の友達で知り合った気がする。 いつ連絡先を交換したとか いつから2人で学校に行くようになったとか そういうことは全然覚えていない。 でも いつのまにか2人で早い時間に電車で待ち合わせて、一緒に登校するようになって 葱が入院したら麦茶は時間を見つけてギリギリまで病院に居座って 2人でいっぱいバカやった。 バカというの
道の先に猫が寝ている。この世界では猫は猫ではない。ただの生命のひとつだ。それは私たちも同じことで、歩行する生命、ものを見る生命、そして名前を捨てた生命だ。 ものには名前がついている。辞書は名前で溢れている。猫という名前は、ぴんと立った三角耳や硬いひげや、ふわふわの毛皮やしなやかな尾を思い出させる。それは名前に紐付けられた記憶だ。名前は時に呪縛になる。人の名前はその人の人生を決定する。人は持病の名前で人を見る。赤色は赤色として扱わなければいけないと言う。赤色の海や赤色の雲を描く