『旅(仮)』第十話 月の道かけ
太陽が支配者であり、王道を照らす者であれば、今天蓋にかかっている月は、邪道をさすものだろうか。世の中に、本当は王道も邪道もない。人間の目は不確かで、一瞬にして虫のごとく狭隘な思索に落ち込むこともあれば、唐突に破られた世界のだだっ広さにほうけてしまって、救いを求めて空を仰ぐこともある。
今、2人の目は月に注がれて、遠い旅程を思っている。
来た道は、さほど遠くはない。ただ時間がかかってしまった。こんなに長旅になるつもりではなかった。道はやさしくなかったし、思いも堂々巡りに、地に向かって転げ落ちていった。天にものぼる美しい旅路を願っていた。今も願っている。太陽には尻尾が生えていて、それが揺れるのを見ているのだと、ある異国の患者は言い残した。
月には何が生えている? きっと歌が。
歌は音符の形をとって、星々の合間を揺れている。ただ目を閉じて耳をすますだけでは、その音は聞こえない。目を開き、指を伸ばし、肌を月光にあてて、間近に月を感じることだ。歌は月からは聞こえない。月に揺さぶられた人の胸元から、歌は零れる。時に流れ出た音階の波が、周囲の人も巻き込んで、巨大な歌を織り上げる。それは人間が生まれる以前に、神に類する美しい生き物がまとっていた衣、あるいは天使の羽だろう。天の使いは月から生まれ、人の感動から生まれる。
天の使いであればよかった。人間は人間以外になれない。しかし、天の使いも天の使い以外にはなれないだろう。自分以外の何かになりたくて、一歩を踏み出したが、きっと最後に残る答えは、自分を愛するしかないということだ。答えの分かっている旅を続ける必要はあるのか。そう思って一度立ち止まった。居心地は良かった。立ち止まってしまえば、答えはそのままだ。自分の思う、立ち止まった地点の答えが本当になる。しかしそれではいけないのだ。どうもそうらしい。一マス進めば、それだけ変わるものがあるらしい。憶測は間違うもので、学校は間違う場所だったが、間違いを避けているだけでは、人間は人間以外にはなれない。避けなかったとしても、人間は人間のままかもしれないが、願うものに幾分か近づける気はする。全ては感情論だろうか? 人間は特別になりたい一心で変化を望むのか? 変化を望んでいる、その変化は良いものだろうか?
月を仰いで喉が震える、懐かしい感情を失った時、人間は本当に、人間以外になれなくなってしまったのだ。
文・麦茶
絵・葱
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