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『旅(仮)』第十六話 七色の道へ

 涙を降らせ続けるラーの瞳に別れを告げ、揺らし続ける手たちに手を振り返して、私たちは先へ進んだ。通路は再び狭くなった。しかし今度はまっすぐ進んだり折れたりすることなく、ゆるやかな上り坂になっていた。
 車椅子を押して上がれないほど急な勾配ではないが、彼女は気にして時々車椅子から降りた。その心遣いがうれしかった。
 坂道はらせん状をなして徐々に上がっていき、とうとう最高地点に到達した。ピラミッドの頂点にいるはずだった。開口部から青空と金色の砂漠と、熱い風がなだれ込んだ。その開口部の外側に、布がはためいているのが見えた。
 近づいて開口部から顔を出すと、カラフルな風船を冠にした気球だった。ここから飛び立つことができそうだ。とはいえ、気球は今やぐったりとして、火のつけられるのを待ちわびる顔をしている。彼女が乗り込み、バーナーを探り当てた。
 火がつき、じりじりと風船がふくらむ。車椅子を乗せ、自分も乗ると、ゴンドラの中はいっぱいになった。「飛び立ちそう!」と彼女が言ったその瞬間、気球がピラミッドを離れ、同時にピラミッドから水が噴出した。
 開口部から際限なく水流が溢れ出る。ラーの涙だった。勢いがないから虹はかからない。それでも、荒地に水が流れる様子は十分美しい。
 しかしそれだけではなかった。金色の砂漠を透明な水が覆うと、砂漠の奥底が七色に輝いて、脈打ち始めたのだ。「あれ何だろう」「木の根っこに似てるね」「ああ、ピラミッドにも根があるんだ」巨大で孤独なピラミッドの存在を支えるものが、地下に広がった根っこだったら面白い。ピラミッドほどのものを支えるにはどれだけの根が必要なのだろう。きっと人間の血管のように、豊かに広がっているだろう。手のひらを砂漠にかかげると、地脈の光で手のひらも七色に輝いた。
 「こんなにきれいな場所だったんだね」と彼女が言った。そうだ。漠たる荒地だと思っていた場所だった。これほど豊かなものが眠っているとも知らないでいたのだ。ピラミッドからは未だ水が流れ出し、地脈は広々と地平線の果てまで輝きながら伸びているように見えた。
 気球は風の向くまま、ピラミッドを離れて今まで来た道をさかのぼり始めた。今まで通ってきた景色が一望された。砂漠を抜け、花火を見た野原に至り、死んだ本の白いページと2人分の靴跡が見えた。その死んだ本の傍らに寄り添うもう1冊の本に、私たちは気づいた。仲間の本だ。「踏まない方がよかったかな」「どうだろう」重たげな雲が足下を渡り、2冊の本を隠した。
 野原が長く続いて、2人の歩いた道以外にも、誰かの歩いた跡が見えてきた。ある地点にはぼろぼろのブーツが落ちていて、またある地点には大きな池があった。点々と人の歩いた痕跡があり、この世界は案外広いと分かってきた。他の道を歩くこともでき、他の人に出会うこともできたのだ。そう願いさえすればそうなる世界だから。
 しかしそうしなかった。2人の旅を望んだ。
 そして今、2人の旅を望んだために放置してしまった場所に、私たちは再び向かっていた。


文・麦茶
絵・葱

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