『旅(仮)』第十九話 旅の始点
船から降りたとき、かつて軋みながら回ったあのメリーゴーラウンドは、見えなかった。ただ巨大な観覧車が空を切り裂いて、こちらに倒れかかってくるかのように立っていた。丘に上っても、その印象はすぐには消えなかった。
「あ、あれ、」と彼女が指を差した。その先に、小さな円形の小屋があった。馬の鼻先の飾りが光った。あれだ。無くなってはいなかった。私たちがただ巨大な別のものにごまかされていただけだ。
丘を下り、その木造のメリーゴーラウンドに近づいた。相変わらずの古びようをして、古色というには悲惨なほど傷んでいる。あのときと同じ妖精の言葉をささやいても、もう動きはしなかった。
メリーゴーラウンドがまだ残っていた、ということだけ胸にとどめ、私たちは少しばかりの感傷を抱いて観覧車を無視して通り過ぎ、とうとう劇場にまでたどりついた。ピエロたちが踊り、首を吊って死んだ劇場。扉にはやはり「WELCOM!」とあった。
劇場の中はほこりっぽく、差し込む光はくすんでいた。そして、舞台に相対するように、一台のカメラがセットしてあった。三脚の上にずっしりと乗って、待ち受けている。私たちはカメラに近づいた。
「これで写真を撮ろう」と彼女が言った。そのためにあるのだろうと、私も思っていた。「記念写真だね」
まず車椅子を舞台に押し上げた。舞台上の車椅子は、旅路の間忘れ去っていたその星色を再び息づかせ、くすんだ光の下できらめいた。タイマーが起動した。
フラッシュがたかれ、2人とも白い光に包まれた。その一瞬、走馬灯のように数々の思い出がよみがえった。草原の湿りと、砂漠の乾きとが同時に感じられた。夜道の月光と燃える夕日、花火、あらゆる光るものは車椅子の星色と同じだった。苦しみが吐露され、喜びが生まれた。幻想の旅路、現実には残らない軌跡が、この一瞬のうちに克明に記録された。そしてそのフラッシュは、これからの私たちの旅の始まりを祝福する光でもあるのだ。
白い光が消え、舞台から降りると、ちょうどカメラのあったところに、一葉の写真がひらめいていた。
写真を拾い上げた彼女が、喜びにたえない顔で私に写真を差し出した。そこには、2人だけでなく、一瞬にして思い出された様々な記憶がともに映し出されていた。「旅の記録っていうより、2人の記録だね」と彼女が笑った。
文・麦茶
絵・葱
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