見出し画像

『旅(仮)』第十一話 にじのかたち

 雪が、ふってきました。からこと、からこと、車いすのすすむ先に、雪が、いいえ、それは雲だったのです。ふかふかした、おもたい雲がたれさがって、私たちの前にさかみちをつくったのです。ふみつけると、雲の道はじゅうとしずみ、しかし確かに足を支えました。車輪は半分くらいうもれて、彼女の頭はいつもより低みにありました。
 むくむくと雲がわき、木がはえ、大きな白い葉っぱが落ちてきました。指でつまむとかんたんにちぎれて、あわだちながらくずれました。あとにはしんと、涙のようなつめたさがのこりました。
 低みの彼女は、かかとをうずめようとする雲をつまさきでかき分け、そのふわりふわりときえるようすを楽しんでいるようです。車輪のみぎひだりに雲がたまり、わだちをつくっています。
 さらに雲がふってきました。雲は頭に、肩に、木にふりかかり、木はしおれ、足跡はうずめられ、雲の道はもとのとおりに、ひらたくなってしまいました。こうして雲は、わきたち、しずまり、たんたんとつづいていくのです。
 再び雲がわき、いきもののかたちが生まれました。いたちとうさぎが葉かげにひそんで、腹をゆたかにふくらませています。そうかと思うと、太く細く呼吸をしながら、蛇が小枝にからみついています。
 からこと、からこと、車いすのすすむその先にたぬきがやってきて、車輪にぶつかり、ほろりとくずれました。少しかなしく、しかしそれらも雲なのです。雲がかたちをかえて、私たちをかこんでいるだけで、なにもこわいことや、かなしいことはないのです。
 ほら、今も、かろやかな音がして、小鳥が彼女の手にとまりました。ほろりとくずれるまでの間に、小鳥ははたはた羽ばたき、かわいらしい声をあげました。雲は私たちを歓迎しているのです。
 きらきらと雲ぜんたいが輝きはじめました。脈うつようにゆったりと、雲の道がゆれています。からこと、からこと、それでも車いすはすすんでいきます。すると、大きく口をあけるように、雲の道がわれました。私たちはおどろくまもなく、すうっと足もとをうしない、腹の底から浮遊感がせりあがってきて、目覚めるように転げ落ち、野原に着地した。
 「夢でも見ていたみたい」と彼女は言った。草原には雨粒がとどまり、ついさっきまで雨が降っていたのだろうと思われた。一日ぬらした雨がやむと、ひとの心はほっとするようにできている。今、雲が割れ、日が差し、虹が、出て、私たちはともに大きなくしゃみをした。かたちのない鮮やかな光が草原を包み、揺れ、私たちはもっと楽しい行く先を望んでいる。

文・麦茶
絵・葱

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?