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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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#ルカによる福音書

復興への道 (イザヤ62:6-12, ルカ13:1-5)

復興への道 (イザヤ62:6-12, ルカ13:1-5)

◆陸の孤島

2011年の東日本大震災は、東北を中心として、甚大な被害をもたらしました。地震だけでも被害は甚大であったのに、それに加えて津波が沿岸各地を襲いました。筆舌に尽くしがたい情況について、私は九州から、何も知るところがありませんでした。無責任にこのような形で触れることを、まずお詫びしたいと思います。どうしても、あることについて、お話ししたいと願ってのことです。傍から見ている者が、知ったよう

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スペシャル・ニュース (雅歌8:6-7, ルカ16:1-13)

スペシャル・ニュース (雅歌8:6-7, ルカ16:1-13)

◆虎に翼

NHK朝の連続小説「虎に翼」は、好評のうちに、9月に放送終了しました。女性裁判官となった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんの生涯をモデルに、寅子(ともこ)という名の主人公を中心に、法曹の世界を描きました。朝ドラにしては堅い前触れがあったと思いましたが、始まったら視聴者はどんどん惹きこまれていったのです。
 
ご覧にならなかった方には分かりにくいのですが、ストーリーをすべて紹介する暇はないので

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愛と眼差し (ヨハネ21:15-19, ルカ22:54-62)

愛と眼差し (ヨハネ21:15-19, ルカ22:54-62)

◆ペトロの失敗談

やがて十字架にて死ぬことになる。他の福音書では明言していましたが、ヨハネ伝では、イエスが婉曲ながらも伝わるように語る場面があります。これを聞いてペトロは不安に感じたのでしょう。
 
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスはお答えになった。「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできないが、後で付いて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、な

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揺れ動く地に立ちて (ルカ21:7-19, ゼカリヤ14:4-5)

揺れ動く地に立ちて (ルカ21:7-19, ゼカリヤ14:4-5)

◆災害は起こる

大きな災害に遭ったことがない者が、偉そうに言うことはできません。災害は、起こらないに越したことはありません。しかし、災いを避けることは、恐らく誰にもできません。思いもよらぬ災いが、人生を襲います。「どうしてこんなことが」と思うようなことが、平然と押し寄せてきます。自分の身の上に起こることもありますが、多くの場合、他人が災いに遭っているのを見聞きすることになります。
 
災いに遭う

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求めなさい (ルカ11:1-13)

求めなさい (ルカ11:1-13)

◆ハイデルベルク信仰問答

ハイデルベルク信仰問答は、カルヴァン派の信仰問答です。いわゆる宗教改革のしばらく後、1563年に、ドイツのハイデルベルクという町で出版された、信仰問答です。問答とは限りませんが、多くは問答形式で、キリスト教の教理、つまり何をどう信じるのか、ということを学ぶためにつくられた入門教育のための書です。「カテキズム」という言葉の方が、ピンとくる人が多いかもしれません。
 
ハイ

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我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

我らを試みに遭わせず悪より救いいだしたまえ (マタイ6:13, ルカ11:4)

◆国と力と栄え

私たちを試みに遭わせず
悪からお救いください。(マタイ6:13)
 
今日はいよいよ「主の祈り」の最終回です。ところが、教会で礼拝の中で称える伝統的な「主の祈り」は、ここで終わりではありません。付け加えられた締め括りがあります。
 
 国と力と栄えとは
 限りなく汝のものなればなり
 
これは福音書の本文にはありません。ではどこでこの締め括りが付いたのか、というと、その文は、新約

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我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)

◆さばきとゆるし

 私たちの負い目をお赦しください
 私たちも自分に負い目のある人を
 赦しましたように。(マタイ6:12)
 
「さあ、主の祈りです」と礼拝のプログラムで司会者に促され、皆一斉に同じ祈りの言葉を口にします。もう言い慣れてしまって、何の感動も、何の思い入れもなく、唱えているだけかもしれません。
 
私もその「スタイル」は分かります。でも、やっぱり、引っかかってほしいと思います。と

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我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

我らの日用の糧をきょうも与えたまえ (マタイ6:11, ルカ11:3)

◆主の祈りの要

「主の祈り」と呼ばれるものは、ルカ伝にもありますが、教会ではおもに長いマタイ伝を軸に受け止めています。さらに、そこから教会で伝統的に整えられた形式の「主の祈り」があります。これを念頭に置きながら、私たちは「主の祈り」を少しずつ味わっています。
 
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。(マタイ6:11)
 
これは、伝統的な「主の祈り」の中央部に当たると言えます。ユダヤの文学形

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み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

み国を来たらせたまえ (マタイ6:10, ルカ11:2)

◆国家ではなく

御国が来ますように。(マタイ6:10)
 
「国家」は幻想だ、と言う人がいます。「国家」というのは、どこにも存在していないのではないか、というのです。
 
古代ギリシアには、「都市国家」と呼ばれるものがありました。比較的小さな単位です。従って、アテネとスパルタがライバル同士であった、などという話も有名です。実にドイツでは、13世紀から19世紀まで、「ドイツ領邦国家」と呼ばれる、小

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願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

願わくは,み名をあがめさせたまえ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆有て在る者

死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の箇所で、神がモーセにどのように言われたか、読んだことがないのか。『私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。(マルコ12:26)
 
この「モーセの『柴』の箇所」とは、出エジプト記の3章の出来事を言います。イエスの時代、このようにして、聖書の特定の箇所については示すものだったわけですが、これで聖書を知る人に

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天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)

◆呼びかけ

「主の祈り」を、少しずつ受け止めてゆくことにしています。今日はその初めで、最初の行だけに注目します。
 
天におられる私たちの父よ(マタイ6:9)
 
父よ (ルカ11:2)
 
ルカ伝はとてもシンプルです。この一言に、マタイ伝の言いたかったことも凝縮されているのでしょうか。いまはマタイ伝のほうを検討することにします。
 
日本語だとこうなっていますが、原語は語の並ぶ順序が異なります

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主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)

◆主の祈り

イエスが直々に「祈り」について教えてくれたことがあります。これを教会では「主の祈り」と呼んでいます。来週から、その祈りの言葉の一つひとつを、ゆっくりと噛みしめて聴きたいと願います。今日は、「主の祈り」全般について、それを受け取るスタンスを確認してみようと考えています。
 
「主の祈り」は、マタイ伝6章とルカ伝11章にあります。イエスが教えた祈りであり、同じもののようにも見えますが、や

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天を見上げて (ルカ24:50-53,使徒1:3-13)

天を見上げて (ルカ24:50-53,使徒1:3-13)

◆映画の真実

特に映画ファンだというわけではありませんが、話題のものや、好みのものは観たいなと思います。いまはあまり感じませんが、昔は、アクション映画を観た後、出て行く客が、すっかりアクションスターになったような気持ちでポーズをとっている、という風景もありました。そうでなくても、映画の主人公のような、清々しい気持ちで映画館を出て行く、というのは、よくあることでした。
 
映画を観て、勇気を与えら

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心を開いて (ルカ24:33-49,24:25-28)

心を開いて (ルカ24:33-49,24:25-28)

◆エマオへの道

復活のイエスを描く場面は、福音書それぞれ、いろいろに描かれています。全く同じことはなく、ばらばらであるために、復活の記事への信憑性が議論されることがあります。否定的な見解の根拠にもなりますが、弁護側の根拠もそれなりにあるようです。私はその人自身の受け止め方を尊重したいと思います。
 
ルカ伝をこの春にお読みしています。十字架への道を辿り、復活を前回迎えました。その復活後の出来事と

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