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#ルカによる福音書
復興への道 (イザヤ62:6-12, ルカ13:1-5)
◆陸の孤島
2011年の東日本大震災は、東北を中心として、甚大な被害をもたらしました。地震だけでも被害は甚大であったのに、それに加えて津波が沿岸各地を襲いました。筆舌に尽くしがたい情況について、私は九州から、何も知るところがありませんでした。無責任にこのような形で触れることを、まずお詫びしたいと思います。どうしても、あることについて、お話ししたいと願ってのことです。傍から見ている者が、知ったよう
愛と眼差し (ヨハネ21:15-19, ルカ22:54-62)
◆ペトロの失敗談
やがて十字架にて死ぬことになる。他の福音書では明言していましたが、ヨハネ伝では、イエスが婉曲ながらも伝わるように語る場面があります。これを聞いてペトロは不安に感じたのでしょう。
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスはお答えになった。「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできないが、後で付いて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、な
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ (マタイ6:12, ルカ11:4)
◆さばきとゆるし
私たちの負い目をお赦しください
私たちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。(マタイ6:12)
「さあ、主の祈りです」と礼拝のプログラムで司会者に促され、皆一斉に同じ祈りの言葉を口にします。もう言い慣れてしまって、何の感動も、何の思い入れもなく、唱えているだけかもしれません。
私もその「スタイル」は分かります。でも、やっぱり、引っかかってほしいと思います。と
天にましますわれらの父よ (マタイ6:9, ルカ11:2)
◆呼びかけ
「主の祈り」を、少しずつ受け止めてゆくことにしています。今日はその初めで、最初の行だけに注目します。
天におられる私たちの父よ(マタイ6:9)
父よ (ルカ11:2)
ルカ伝はとてもシンプルです。この一言に、マタイ伝の言いたかったことも凝縮されているのでしょうか。いまはマタイ伝のほうを検討することにします。
日本語だとこうなっていますが、原語は語の並ぶ順序が異なります
主「の」祈り (マタイ6:5-9, ルカ11:1)
◆主の祈り
イエスが直々に「祈り」について教えてくれたことがあります。これを教会では「主の祈り」と呼んでいます。来週から、その祈りの言葉の一つひとつを、ゆっくりと噛みしめて聴きたいと願います。今日は、「主の祈り」全般について、それを受け取るスタンスを確認してみようと考えています。
「主の祈り」は、マタイ伝6章とルカ伝11章にあります。イエスが教えた祈りであり、同じもののようにも見えますが、や